
112分 1971年 アメリカ
日本公開:1973年3月 配給:ヘラルド映画
反戦映画の名作として古典的存在になっている作品だが、僕はこのNHK-BSシネマでの放送が初見だった。
赤狩りに遭ったハリウッド・テンのひとりとして知られるドルトン・トランボが自分の小説を脚本化し、自らメガホンを取って監督まで務めた極めて作家色の強い映画である。
原作小説は第二次世界大戦下の1939年に発表されて発禁処分となり、映画化作品はベトナム戦争の最中の1971年に公開されて大反響を巻き起こした。
そういう時代にあえてこういう作品を世に問うたことに、トランボの表現者としての矜持を感じないではいられない。
舞台は第一次世界大戦中の1917年のヨーロッパ戦線。
主人公のジョー・ボーナム(ティモシー・ボトムズ)は目、鼻、耳、口、両手両足を失いながら、性器だけは通常の機能を維持し、意識もはっきりしているのに、医者や看護師にはそれがまったくわからない。
物語は、寝たきりとなっている現在のジョー、五体満足だった昔のジョーの場面を行ったり来たりしながら進行する。
昔のジョーを演じるボトムズの瑞々しい演技が印象的で、それだけに生きる屍と化した現在のジョーの姿が一層痛々しく感じられる。
というアイデアとストーリーはまことに素晴らしいけれど、それを物語る話術と技法には少々異論がある。
当初は話者不明のナレーションで語られているこの映画、前半でジョー自身の声に変わり、それが最後まで続くのだ。
おかげで、明確な意識を持ちながらも外部とのコミュニケーションが完全に遮断されている、という極限状況における孤独感や絶望感が弱められる結果となったことは否めない。
そのため、ジョーがある方法で医師や看護師に自分の意思を伝えることに成功する終盤のクライマックスでも、最初から彼のナレーションを聞いているこちらには今ひとつ感動が胸に迫ってこないのである。
また、ジョーの回想する過去の場面に、次第に彼の幻想が入り混じってくるという手法も感心できない。
ジョーの父親を演じる役者がジェーソン・ロバーズになったり別の俳優になったり、そうかと思えばロバーズが見世物小屋の主など別の役に扮して登場するくだりも、いかにも作り物めいて見える。
なお、余談ながら、ジョーが自分の意思を周囲に伝える方法のアイデアは、のちに手塚治虫が描いた『ブラック・ジャック』にも出てくる。
詳しくは書かないが、パクリかどうかは議論の分かれるところだろう。
オススメ度B。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑
旧サイト:2016年02月20日(月)Pick-up記事を再録、修正