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東スポ・太刀川名誉会長の訃報には驚いた。
88歳で亡くなったのは13日で、東スポWEBは25日午前11時、東スポ本紙は同日午後発行の紙面(26日付)で功労者の他界を伝えた。
奇しくもこの日、私の連載コラム『赤ペン‼︎』には、今月急逝したヤクルトのマスコット・つば九郎を偲ぶ追悼記事が掲載されている。
それは単なる偶然としても、同じこの日、昨年暮れに逝去した元巨人オーナー・渡邉恒雄氏のお別れの会が帝国ホテルで行われていたことには、不思議な巡り合わせを感じないではいられない。
私にとって、ナベツネさんは一時期囲みに参加していた取材対象、太刀川さんは現場をともにしている東スポ記者の上司という以上の存在ではなく、個人的面識はまったくない。
しかし、ナベツネさんと太刀川さんが接触を持ち、いろいろな懸案を俎上に乗せ、意見交換をしていたらしい、という話は側聞している。
私が勤めていたころ(1986〜2006年)の日刊ゲンダイ社長(のち会長)の川鍋孝文さんも、ナベツネさんとは定期的に会合を持つ間柄だった。
時には、ナベツネさんが川鍋さんに漏らした巨人に関する情報が、ゲンダイの編集局長を通して、それとなく私に伝えられていたこともある。
川鍋さんと太刀川さんが、個人的に直接会っていたかどうかはわからない。
ただ、そのふたりがナベツネさんを間に挟み、関東首都圏での部数を競い合っていた時代には、ネット全盛の現代とは違う、独特の熱気があったなあと、今にして思う。
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その川鍋さんはナベツネさんや太刀川さんよりもっと早く、2015年、79歳で亡くなっている。
それぞれのメディア、紙媒体の最後の全盛期を牽引した昭和時代の傑物が去り、東スポとゲンダイは今後、どのようにして生き延びていくのか。
あらゆるオールドメディアと同様、打開策も未来図も、なかなか見えてこない。
しかし、東スポもゲンダイも、かつての夕刊紙のカテゴリーから脱却し、ネット時代におけるコンテンツ・プロバイダーたるべく、試行錯誤を続けている。
今、両社を率いる社長二人に現状と未来図を語っていただいたインタビュー記事が、デイリー新潮に掲載されています。
これを機会に、よかったら御一読ください。
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