昨年TBS系列で放送され、略称「ふてほど」が流行語大賞を受賞した人気ドラマ『不適切にもほどがある!』が、年末SPとして一挙再放送された。
さっそく全話録画して観ようと思ったら、12月30日放送の1〜7話は録画予約したものの、実はその先に8〜最終話の3話が残っていて、明くる日の31日に放送されたことを知らず、予約し損ねてしまった。
そこで、今さらながら、初めてNetflixに加入し、残った3話をチェック。
さすがはクドカン(宮藤官九郎)、1話ごとに新たなテーマが提示され、我が身と実社会に引き寄せて首を捻りたくなるたび、要所要所でミュージカル仕立ての場面を挟み、心地よく笑わせ、シンミリさせてくれる展開はまことに素晴らしい。
なるほどと膝を叩きたくなったポイントはいくつかあるが、自分の仕事に重ね合わせて印象に残ったのは、テレビ出演者の不適切発言がSNSの炎上を招く構造である。
まず不適切発言の一端が切り取られてSNSに投稿され、次にWEBライターがそれをネタにしたコタツ記事を書き、それがさらにネット上で拡散される。
厄介なのは、その拡散しているネット民のほとんどが当該番組を見ておらず、従って不適切発言を自分で検証することなく、昔で言う群集心理でSNS上の拡散に参加していることだ。
そこで1986年からやってきた小川市郎(阿部サダヲ)が「番組を観てないやつらなんか相手にしなければいいじゃないか」と憤慨すると、2024年にテレビ局のプロデューサーからコンプライアンス担当に異動となった栗田一也(山本耕史)は「今はテレビを観てないやつらのために番組を作らなきゃいけないんだ」と反論する(カギカッコの中身は正確ではありません)。
このやり取りはコメディードラマの枠を越えて、われわれメディアで働く人間がいかにネット社会によってがんじがらめにされているかを教えてくれる。
私の仕事を例に取ると、年明けに日刊ゲンダイ、東京スポーツ両社長にインタビューした記事がデイリー新潮、及びYahoo!ニュースにアップされると、たちまちコタツ記事、ウソツキ新聞、もう夕刊紙の役割は終わったといったコメントが寄せられた。
その多くが、私の記事を読み流すか、まったく読んでいないこと、恐らくふだんはゲンダイや東スポを手に取ることすらないネットユーザーであることは明らかだ。
そういうネット時代の危うさを指摘したくだりも書いてあるのだが、最初から夕刊紙をこき下ろしたいユーザーたちはそういう部分を切り取らない(もしくは読み取ることすらしない)。
現代のそういう理不尽な事態を活写したこのドラマ以降、世の中が少しは変わってくれるといいのだが、まあ、すぐには無理だろうな。
ところで、最後に一つだけ、ちょっと割り切れない部分を指摘しておくと、小川と娘・純子(河合優美)の運命はどうなるのか、あらかじめ決められた通りになるのか、回避される可能性もあるのか、何の説明もないまま(つまり布石が回収されないまま)終わっているのが残念でした。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑