【きょう4日掲載!】九スポ限定『+GAME44』/[DeNA]26年ぶり日本一となった第6戦、三浦ベイはいかに戦ったか

きのうはポカポカ、野球日和

きのうはまず、新橋の青松寺で告別式に参列してきました。
私が長年お世話になってきた元慈恵医大教授、後楽園球場と東京ドームで救護室の当番医を務めていた柴孝也先生が、10月30日の朝、84歳で亡くなったのです。

生前は交友範囲が広く、医学界をはじめ、政界、プロ野球界にも多くの知己がいた方だけに、葬儀にも大勢の弔問客が詰めかけていました。
そうした中、弔辞を読んだのが、巨人コーチの川相昌弘さん。

川相さんが時に声を詰まらせながら語った思い出の数々に、在りし日の柴先生のお姿が偲ばれ、よく御一緒させていただいた私の胸も熱くなりました。
その弔辞で川相さん自身が述べていたように、もし巨人が日本シリーズに進出していれば、この日は東京ドームで第7戦が行われていた可能性があり、川相さんは葬儀に参列することも叶わなかったかもしれない。

そう考えると、何か不思議な縁を感じないではいられません。
午後2時過ぎに出棺を見送ると、私は川相さんや共通の知人の方々に挨拶し、雨で順延となった日本シリーズ第6戦が行われる横浜スタジアムへ。

試合の結果はご存知の通り、予想以上の大差で三浦ベイが圧勝し、26年ぶりの日本一を達成!
CSファーストステージからポストシーズンの取材を始めたときは、「どうせすぐにベイが負けるよ」という声が大半だったから、まさかこんな結果になるとは想像もしていなかった。

これでやっと休めるのかと思うとほっとするような、でも三浦ベイの取材も終わるのかと思うと寂しいような…。
なお、三浦ベイが優勝を決めた試合原稿はきょうの九スポに掲載されています。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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