太平洋戦争の最中、日米両国は自国民の戦意高揚のため、どのようなプロパガンダ報道や映画制作をしていたのか。
今日では滅多に観られない映像や紙面を多数用いて検証したドキュメンタリー作品。
オープニングでいきなり画面に映るのが、米国製の反日プロパガンダ映画『マイ・ジャパン』(1945年)。
怪しげな目つきをした日本人と称する俳優が現れ、冷笑を浮かべながら「俺はおまえたちの敵だ」と宣言し、「何百万の精鋭がおまえたちを待っているぞ」と挑発する。
アメリカ軍は第2次世界大戦開戦以来、戦場に多数のカメラマンを派遣してプロパガンダ映画の製作に注力していた。
映画の都ハリウッドも全面協力しているだけに、娯楽的要素の強い作品も多く、人気キャラクター、バッグスバニーやトム&ジェリーのプロパガンダ用短編アニメも製作されている。
しかし、そういうプロパガンダに寄与せず、むしろ戦争の実相に迫った映画は、当局から弾圧され、戦後も長らく公開を許されなかった。
ジョン・ヒューストン監督が精神を病んだ戦争帰還兵を描いたドキュメンタリー『光あれ』(1946年)はフィルムを押収され、ようやく公開にこぎつけたのは35年後の1981年だった。
一方、日本側のプロパガンダ映画の代表作は、日本映画社(日映)が製作し、全国の映画館で上映されていた〈日本ニュース〉。
軍政府の監視下の元、日本軍が米軍の戦艦を沈めたり、戦闘機を撃墜したりする勇ましい場面ばかりを切り取り、連戦連勝を続けているというでっち上げを報道し続けた。
「皇国の興亡、この一戦にあり!」という名フレーズは、この日本ニュースによって全国民に広められた。
日映は朝日、大阪毎日、読売など大手新聞社3社が参画した社員約1000人の大所帯で、当時の社内や製作現場の映像が紹介されているくだりも興味深い。
ところが、日本の敗戦後になると、GHQの命令によるものか、戦時中のニュース映像がどのようにして捏造されていたのか、日映自らそのからくりをカミングアウトした日本ニュースが上映されるようになる。
かつての勇ましい場面に「デマ、デマ、デマ」と大きなスーパーインポーズがかぶせられているのには不謹慎ながら笑ってしまった。
そうした中、運命のいたずらにより、日本のプロパガンダに加担することになった東京ローズ、アイバ・トグリ・ダキノの逸話が胸に迫る。
日系アメリカ人として米国で生活していた彼女は、親戚を見舞うために日本に滞在していた折、太平洋戦争開戦によって米国へ帰れなくなってしまった。
アイバが仕方なくNHKのタイピストをして生計を立てていたところ、南太平洋で従軍している米兵向けのラジオ番組『ゼロ・アワー』のDJをするよう当局から要請される。
米兵たちにホームシックを起こさせ、戦意を挫くことを目的として放送されたこの番組は、皮肉にも米兵たちの間で大変な人気を博した。
アイバはプロパガンダではなく、単なる娯楽番組だと信じてこの仕事を引き受けており、自分が東京ローズであることを隠そうともしなかった。
しかし、この正直な態度が戦後、アメリカによって国家反逆罪に問われることにつながった。
以下は余談。
日映は経営の形態を変えながら戦後も存続し、1992年までニュース映画の製作を続けていた。
僕自身、中高生だった1970年代、広島駅ビルの二番館〈ステーションシネマ〉で何度か日本ニュースを観たことがある。
一番印象的だったのは1979年、〝空白の一日〟を利用して巨人入りした江川卓が甲子園の阪神戦に初登場したときのニュース映像。
家のカラーテレビの何倍も大きなスクリーンに、「人間のクズ!えーがーわ!」という罵声を浴びながら黙々と体を動かしている江川の姿が映る。
あの映像を観たときの強烈なインパクト、IMAXを観慣れた今時の映画ファンにはわからないだろうな。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑