ここ数年、継続取材しているプロ野球のDeNAは今年、「横浜進化」というスローガンを掲げた。
その意味するところは、選手の成長、チームの強化、球団の進歩、ひいては地元横浜の発展だと、ファンの誰もがごく自然に受け止めている。
日本のスポーツジャーナリズムにおいても、選手が練習と経験を積み、ステップアップしていく過程を「進化」という言葉で表現するメディアや記者が少なくない。
その背景には、選手の技術や肉体について、人間的「成長」よりも動物的「進化」になぞらえたほうがインパクトが強いとする共通認識があるようにも思われる。
しかし、そもそもダーウィンが唱えた生物学における「進化」とは、何らかの目標に向かう「進歩」ではなく、方向性のない盲目的な「変化」である、という基本的な指摘から本書は始まる。
「進化」とは自然選択の連続による「変化」の積み重ねの結果であり、「退化」も「進化」なのだ。
それでは何故、「進化」が現在のようにスポーツをはじめ、政治、経済、社会問題など、様々な分野で誤用されるようになったのか。
本書によれば、そもそもダーウィンの進化論が大衆に広まった最大の要因は、ダーウィンの著書『種の起源』自体ではなく、これをわかりやすく解説したサイエンスライターの記事や著書によるものだったという。
進化論が一般社会に広まるにつれ、ダーウィンの自然選択論に対抗するラマルクの獲得形質論が登場。
進化は無目的な偶然によってではなく、一定の方向性を持つ遺伝的な過程によって生じるものとする主張である。
これが明るく前向きな未来の創造に寄与する思想だとして、アカデミズムのみならず、多くの他ジャンルで幅広い支持を得るようになり、やがては元祖ダーウィンの自然選択論を圧倒するようになっていった。
その過程ではまた、様々な科学者同士のぶつかり合いがあったようで、とりわけスペンサーとヴァイスマン、ベイトソンとウェルドンの論戦と確執が非常に面白い。
優生学は日本にも波及し、旧優生保護法による不妊手術を強制された人々が現在も国を相手どって法廷闘争を繰り広げている。
著者によれば、恐ろしいことに優生学は人間社会の表舞台から消えても、優生学思想はまだ脈々と息づいて
そうした進化論の研究はやがて、競走馬の生産と育成のごとく、人間の優秀な遺伝子を後世に残し、劣悪な遺伝子を排除しようとする優生学と結びつく。
本書の後半では、この優生学思想がアメリカで広まり、これに大きな影響を受けたヒトラーとナチスのユダヤ人大量虐殺へと発展した過程が詳細に語られる。
優生学は日本にも多大な影響を与え、旧優生保護法によって不妊手術を強制された人々が続出し、現代も国を相手取って法廷闘争を繰り広げている。
恐ろしいことに、優生学自体は消滅しても、優生学的思想は現代にも受け継がれ、脈々と息づいており、21世紀には「遺伝的強化」を唱える学者や思想家が現れた。
いま注目を集めているヒトゲノム編集の研究は、われわれ人類の未来にどのような影響をもたらすのか。
つらつらと想像を巡らせながら、ウクライナやガザで大量虐殺が続けられているニュースを見るにつけ、身の毛がよだつ思いがして、もう軽々しく「進化」という言葉は使えないなぁ、と痛感する今日この頃です。
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