『エクソシスト2』(レンタルDVD)😉

Exorcist II: The Heretic
118分 1977年 アメリカ=ワーナー・ブラザース

劇場公開された1977年、中学3年生だった時分に感銘を受け、何度も観直した1本である。
ただし、今回再見したDVD版は劇場やテレビ放映時にかけられたヴァージョンではなく、オープニングとエンディングが大幅に変わっている。

この作品、アメリカ本国における試写の段階から難解だの凡作だのといった酷評が相次ぎ、プレミア上映までに少なくとも1度、全米での正式公開までにさらにもう1度、編集のやり直しが行われたという。
とりわけ製作・配給会社のワーナー・ブラザースが問題視したのはエンディングで、タイムリミットぎりぎりまで改変と確認の作業が続けられたと、当時、日本の映画ジャーナリズムは伝えていた。

結局、劇場用の最終決定版はジョン・ブアマン監督の意図とは大きく異なる結末になり、日本でもこのヴァージョンが公開されている。
その皺寄せによるものか、当時の映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」に公開版から削除されたシーンが宣伝用スチール写真として掲載される、という珍妙な事態も発生した。

映画では最後に悪魔パズズと対決して生死不明となってしまうフィリップ・ラモント神父(リチャード・バートン)がジーン・タスキン医師(ルイーズ・フレッチャー)と抱き合い、そのふたりをリーガン・マクニール(リンダ・ブレア)が見つめている、という場面だ。
これだけ見ても、いかに公開直前まで慌ただしい再編集が行われていたかがわかる。

2002年に発売されたこのDVD版には、そうした改変が加えられる前のオリジナル版が収録されている。
いまではよっぽどの物好きしか再見しないようなソフト版ではあるが、せっかくの機会なので、どこがどのように違っているかを指摘しておこう。

まず、劇場公開版ではタイトルクレジットにエンニオ・モリコーネ作曲のメインテーマ、おどろおどろしい曲調の「魔力とエクスタシー」が流される。
これに対し、DVD版=オリジナル版は不気味ながらも静かな旋律の「悪魔祓い」と、極めて対照的な選曲だ。

次に、劇場版の本編は前作『エクソシスト』(1973年)の静止画像(悪魔に取り憑かれたリーガン=リンダ・ブレアのクローズアップ)から始まる。
その直後、前作で死んだメリン神父(マックス・フォン・シドー)の名誉を回復するべく、4年前のリーガンへの悪魔憑きの再調査に乗り出すことにした、というラモント神父のナレーションがかぶさる。

オリジナル版にはこのような解説はなく、いきなりラモント神父が南米の田舎町でエクソシズムに失敗し、女性を焼死させてしまう事件から始まる。
DVD版で復元されているのは、その後に続くリーガンのタップダンスのレッスンシーン。

さらに、ラモント神父が枢機卿(ポール・ヘンリード)にメリン神父が死んだ悪魔祓いについて調べるよう要請される場面へ続く。
ラモント神父はここで、再三断りながらも承諾せざるを得なくなる。

劇場版では最初からラモント神父がメリン神父の事件調査するとナレーションで宣言しているため、その前提と矛盾することになったこのシーンはカットされた
逆に、劇場版にはあったのに、DVD版から削除されたくだりもある。

アフリカへ調査にやってきたラモント神父が、聖地専門のガイドを商売にしているエドワード(ネッド・ビーティ)の操縦するセスナ機に乗っている最中、信仰心が揺らいでいることをエドワードから告白される場面。
エドワードは終始神経症的な笑い声を発し、セスナ機をきりもみ回転させる。

ここは本作のテーマが人間の中に普遍的に併存する善と悪の相克にあることを強調するシーン。
ビーティも印象的な演技を見せていただけに、〝永久保存版〟たるべきビデオソフトからカットされてしまったのは大変惜しい。

さて、問題のエンディングである。
劇場版ではジョージタウンのマクニール邸にイナゴの大群が来襲して家屋が崩壊し、その最中にリーガンの母の秘書シャロン(キティ・ウィン)が焼け死んで、ラモント神父はパズズとの戦いの果てに生死不明となってしまう。

リーガンが神秘的な力を発揮してイナゴを追い払い、屋敷の残骸の中に立ち尽くしていると、そのリーガンを泣きながら見つめているタスキン医師の顔が映る。
呆然としたリーガンの表情がアップになり、エンドクレジットがかぶさって「リーガンのテーマ」が流れる。

この曲はエンニオ・モリコーネの傑作のひとつに数えていいだろう。
さらにクレジットが続くうち、突然音楽がアップテンポの「パズズ」に変わる。

これはひょっとしたらパズズがまだ生きていることを示唆し、観客に第3作への期待を持たせようとしたのかもしれない。
オリジナル版ではこれがガラリと変わり、まったく違う作品であるかのような印象を残すのだ。

最大の違いはラモント神父が生きていることである。
大火傷を負って瀕死の状態にあるシャロンに歩み寄り、懺悔する彼女に向かって神の赦しを与え、十字を切る。

そのシャロンを見つめながら涙をこぼすリーガン。
やはり泣き崩れるタスキン医師をラモント神父が優しく抱き締める。

劇場公開当時、映画雑誌に誤って掲載されたのはこの場面のスチール写真だ。
事ここに至るまで、タスキン医師とラモント神父は対立していた。

4年前のリーガンの悪魔憑きが精神病の一種であるとするタスキン医師に対し、メリン神父を尊敬するラモント神父は悪魔が実在すると主張して譲らなかった。
しかし、このエンディングではラモント神父が悪魔に対する人間の勝利を宣言。

そのラモント神父にタスキン医師が自分の間違いを認め、リーガンにも謝罪の言葉を口にする。
そして、警察が駆けつける前、タスキン医師はリーガンとラモント神父にその場を立ち去るよう告げる。

リーガンとラモント神父が繰り広げてきた悪魔との戦いは現代社会では到底理解されないだろう。
だから、これからは神のため、信仰のため、人知れず悪魔祓いを続けていってほしい、という願いをこめて。

手に手を取り合い、廃墟の向こう側へ去ってゆくリーガンとラモント神父。
その後ろ姿を見つめるタスキン医師の顔に、作品中重要な役割を果たしてきた同時催眠装置シンクロナイザーの音と光がかぶさる。

そこに「リーガンのテーマ」が流れてエンドクレジットへ。
このオリジナル版では「パズズ」は使われていない。

トシを取ってから改めてこのオリジナル版を観ると、正直、昔のような傑作だとは思えなかった。
欠点が多いのは確かで、凡作という評価が定着しているのも仕方があるまい。

あえて言うなら、傑作になり損ねた愛すべき凡作というべきか。
今後も再評価されることはないだろうが、人間に内在する善と悪の対立をテーマに、独特の映像世界を構築したブアマンの狙いは認めてもいいと思う。

なお、僕が観たDVDには劇場公開版は収録されていない。
ネット版が2バージョンのうちどちらを配信しているのかは知らないけれど、もし劇場版を観ることができなくなっているのだとしたら、それももったいないと思う。

オススメ度B(個人の見解です)。

A=ぜひ!🤗 B=よかったら😉 C=気になったら🤨  D=ヒマだったら😑

旧サイト:2012年05月8日(火)付Pick-up記事を再録、修正

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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