マッシーさんの始球式と4時間半のロングゲーム⚾

神宮球場前(きょう夕方4時半過ぎ)

球場へ行こうかなー、やっぱりやめとこうかなー。
きょうも大変な猛暑で、正直、出かける直前まで、ゲーム取材をサボりたい誘惑と戦うのが大変でした。

一応、ヤクルト-DeNAが行われる神宮へ行く予定にはしていたんだけど、この球場は人工芝の照り返しもあり、めっちゃ体感温度が高い。
正午過ぎに近所のセブンイレブンへ昼ご飯(冷やし担々麺)を買いに行っただけで、汗ビッショリになったほどだったから。

しかし、きょうは前半戦最終戦で、球場へ行かなかったら、来週までプロ野球の現場がない(オールスターの現場には行かないので)。
12球団の監督が試合前の囲みで前半戦の総括をする日でもあり、これまでの行きがかり上、DeNA三浦監督のコメントぐらいは取材しておく必要がある。

その三浦監督はいつもより少々遅く、夕方4時前に取材に対応。
今季の打線の状態には満足しているのか、骨折でリハビリ中の筒香が復帰するのはいつごろになりそうか、という僕の質問に対する番長の回答は、いずれ、機会があれば仕事で書きます。

その後、冷房の効いた記者席でプレーボールを待っていると、日本人最初の大リーガーとして知られる、マッシーこと村上雅則さんが登場。
現役時代に所属していたSFジャイアンツ・背番号10のユニフォームをシャツの上に着ていて、試合前に始球式を務めるという。

頑張ってください、と声をかけようとしたら、マッシーさんは「目ぇつむってろ」と一言。
実は現役時代以上に緊張していて、捕手にも届かず、恥をかいたらどうしようと思っていたそうです。

しかし、御年80歳ながら、さすがは昔取った杵柄で、マウンドのかなり手前からではあったけれど、捕手の中村へほぼストライクの投球を披露。
マッシーさんはホッとした表情で、試合直前の会見ではSFジャイアンツ時代の秘話を明かしていました。

ちなみに、僕がマッシーさんと知り合ったのは、古巣のホークスが南海からダイエーに身売りされた直後の1988年の秋季キャンプ中だった。
マッシーさんはこの年から杉浦忠監督の下で投手コーチに就任された直後で、僕は当時務めていた日刊現代の運動部に配属されてから半年ほどたったころだった。

日刊現代の上司がマッシーさんと懇意にしていたことから、僕も何かとよくしていただきました。
秋季キャンプ地が僕の故郷・広島県竹原市の隣、呉市の二河球場だったこともあって、あのころのことは今も鮮明に覚えている。

以後、何度となくお話をうかがってきたけれど、よく考えたら、マッシーさんが球場で投げる姿を見たのはきょうが初めて。
暑さに負けて家に引きこもっていたら、こういう貴重な機会を逸していたかもしれないのだから、やはり球場にはマメに足を運ばなきゃいけませんね。

なお、試合は前半から打撃戦、継投戦になり、延長十一回、4時間31分のロングゲームの末に8-7でヤクルトがサヨナラ勝ち。
個人的には今年初めて観るヤクルトの先発・奥川に期待していたけれど、2打者連続ソロ本塁打を含む6安打3失点と打ち込まれ、4回で降板したのは残念でした。

一方、DeNAは自慢の打線でオースティン、佐野、牧、宮﨑と打つべき選手が全員で4本もホームランを打っているのに逆転サヨナラ負け。
要所要所で飛び出すエラーや判断ミスを減らさなければ、今年も優勝は難しいんじゃないかな。

きょうは大入袋が出るのが早かった(観衆29502人)
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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