カープ投手陣 vs. 元カープ丸⚾

ここを真っ直ぐ行って、関係者入口から東京ドームの中に入ります

きのうカープが巨人に勝った最大の要因は、何と言っても先発の大瀬良が1番・丸を3打数ノーヒットに抑えたことにあると思う。
一昨日の第1戦、延長十回に丸にサヨナラホームランを打たれた試合後、カープの新井監督は「今の丸は手がつけられない」と発言。

このコメントを(たぶん)ネットで読んだ大瀬良は、「それじゃあ僕が丸さんに手をつけてやろうかな」と思ったそうだ(ちょっとイヤらしい表現?)。
試合前には捕手の会沢と入念な打ち合わせを行い、綿密な対策を立ててマウンドに臨んだという。

序盤からいきなり真っ直ぐが147㎞を計測するなど、打たせて取るスライダー投手らしからぬ力の入れようも目立った。
大瀬良本人によると、「スピードガンの数字は野手も見てると思いますし、攻める気持ちが伝わるかな」と、打者の気持ちを高める効果も考えてのこと。

この大瀬良-会沢バッテリーのアプローチが奏効し、きのうは2-1でカープが競り勝った。
まあ、巨人側から見れば、2度の得点機で岡本和がブレーキになり、畳みかけられなかった打線が敗因とも言えるけど。

で、一夜明けたきょうは、カープの先発玉村が初回、先頭の丸に中前打で出塁され、2死から4連打を浴びて一挙3失点。
その後の2打席は配球を変えて丸封じに成功したところ、流れがジリジリとカープに傾き始め、六回に1点、七回にも1点を加えて2-3と1点差に詰め寄った。

しかし、きょうの反撃はここまで。
終わってみれば、初回、丸の先頭打者ヒットで出鼻をくじかれたことが最後まで響いた試合となりました。

しかし、返す返すも、カープは惜しい人材を巨人に流出させてしまったものです。
丸が残留していれば、3連覇の後も何度か優勝…するのは無理としても、佐々岡監督時代にAクラスに食い込むことぐらいはできたんじゃないか。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る