西武ライオンズは今何をするべきか⚾️🦁

西武球場前駅の改札

西武が弱い。
交流戦最終カード、本拠地ベルーナドームでのDeNA3連戦は3連敗で終わった。

これで交流戦は4勝14敗で2年連続最下位。
パ・リーグ順位では19勝44敗、借金25と、こちらも最下位に沈んだままだ。

ライオンズは1980〜90年代、王者西武と言われ、その後の東尾、伊原、伊東、渡辺、辻監督時代もパ・リーグの覇者としての地位を維持していた。
僕自身が野球記者生活をスタートさせた1988年は森監督時代で、まだ屋根のなかった西武球場へ足を運ぶたび、圧倒的な個人技と緻密な試合運びに感嘆させられたものである。

スカウティングから育成システム、コーチ人事からゲームマネージメントに至るまで、あのころの西武は駆け出しの記者にとって、当時最高の教科書的チームだったと言える(取材しにくい面も多々あったが)。
そんな年数だけは長いライターにとって、今週のカープ、DeNA6連戦は、信じがたい場面の連続だった。

14日のDeNA戦、1−1の同点で迎えた六回1死二、三塁で、筒香の平凡な二ゴロをセカンド滝沢がエラー。
ゲッツーコースと思われた次の瞬間、ファンブルしてしまい、拾い直すのに手間取っている間、三走・度会が本塁を陥れ、これが結果的に勝ち越しを許す適時失策となった。

その直後には、投手の青山が佐野の投ゴロを捕り損ね、ポロリとやった後に焦って一塁へ悪送球。
またしても西武の守備が乱れている間、三走・オースティンが生還し、点差を2点に広げ、ここで事実上、勝負あった。

いずれのミスも、決して難しい打球だったわけではない。
落ち着いて待ち、一呼吸置いてから送球しても十分アウトにできたケースである。

滝沢も青山も経験の浅い若手だから、走者を溜められて浮き足立っていたことは考慮すべきだろう。
しかし、そういう選手たちにこそ、ベンチが精神的ケアをしてグラウンドに送り出すべきではなかったか。

翌15日には、0−3と劣勢で迎えた五回1死一塁、児玉の右飛で一走・山野辺がスタートを切り、二塁を回る〝暴走〟で併殺され、一瞬にして得点機を潰している。
山野辺のボーンヘッドではあるが、それ以前に経験豊富なはずの一塁コーチャーは何をしていたのか。

この試合では、ファースト陽川の失策、レフト鈴木の悪送球、さらにはベテランのショート源田がグラブに打球を当てながら落としてしまう場面もあった。
公式記録は安打だったが、テレビ中継していたNHK総合の解説者、選手・監督として9度の日本一を達成した経験を持つ伊東勤氏は「源田なら捕ってほしかった」と指摘している。

ここに挙げたミスや失敗は、かつての西武ならあり得なかったケースばかり。
いや、野球の基本に立ち返れば、今の西武でもあらかじめ防ぐことができたはずだ。

このBlogを書きながら、改めて思う。
渡辺GM兼監督代行がエースと監督を務め、日本一にまで上り詰めたあの強い強いライオンズはもう帰ってこないのだろうか、と。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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