〝番長〟三浦監督の囲み、〝闘将〟星野監督のぶら下がり⚾

西武球場前駅のトイレの壁にはこんな勇ましい絵が

きょうもベルーナドームで西武主催の交流戦をじっくりと見てきました。
ライオンズの相手は個人的に3週間ほどご無沙汰していたDeNAで、交流戦ではこの最終カードが初取材。

これだけチームから離れていると、メンバーや打順も結構変わる。
牧が代打から4番に復帰し、度会が二軍から昇格して2番に入り、先発の浜口、中継ぎで京山が登板した一方、先発の石田、中継ぎの山﨑や伊勢が抹消され、スタメンが続いていた蝦名、森がベンチスタート。

試合前、久しぶりの囲み取材で、度会を2番に起用した意図を三浦監督に聞いてみた。
そうしたら、打順がどうこう以前に、度会はどの打順に置いてもチャンスで打席が回ってくるのだと、〝持っている〟ことを〝番長〟は強調。

実際、きょうの試合でも三回2死二、三塁で度会に打席が回ると、さっそく適時遊撃内野安打で先制点をもぎ取っている。
なるほど、こういう選手を〝持っている〟と言うのだろうが、開幕直後に急失速したこともあり、いつまで〝保つか〟という一抹の不安も拭えない。

その三浦監督、5-1で快勝し、連勝を5まで伸ばした試合後の囲みは、カープ新井監督のような階段の上ではなく、下のベンチ裏で行われた。
これは巨人と同じスタイルで、巨人・高橋前監督も13連敗の球団ワースト記録をここで作った2017年、下の薄暗い通路で取材に応じている。

そこで思い出したのが、まだ長い長い階段でのぶら下がり取材が行われていた2012年シーズン終盤の西武-楽天戦。
楽天が西武に敗れ、AクラスとCS進出がほぼ絶望となった試合後、当時監督だった〝闘将〟星野仙一さんにぶら下がろうとしたら、いきなり怒声を浴びせられたのです。

以下、主なやり取り。

「何だ、ゲンダイ! 何を書きにきた、この野郎!」

「日刊ゲンダイは辞めました、もう6年も前に」
(星野さんが知らなかったはずはないんだけどな)

「何、じゃあ、今はどこなんだ!」

(NPBの取材パスを見せて)「時々、東スポで記事書いてます」

「東スポも一緒や! ウソばっかり書いとるやないか!」

「いえいえ、東スポで書いていると言っても、僕自身はフリーなんですよ」

「フリーってのが一番タチが悪いんだ!」

ざっと以上のようなやり取りが、駐車場まで約4階分の階段を上っている間、延々と続いたのであります。
当然、その間、楽天の担当記者たちはまったく質問できなかった(その後、駐車場で報道陣とのごく普通のやり取りに応じたようですが)。

まあ、星野さんとしては、負けて悔しかったんだろうし、取材にも答えたくなかったんだろうし、そこへ僕が顔を出したものだから、これ幸いとイジリ倒してその場をしのごうとしたんでしょう。
いずれ、ご本人と当時の思い出話をしたかったけれど、その機会もないままに鬼籍に入られたことが今でも残念でなりません。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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