西武・渡辺GM兼監督代行が語っていたところによると、現在のベルーナドームは同GMが現役投手だった1980~90年代の西武球場に比べて、外野が10㍍ぐらい広くなっているという。
当時はパ・リーグの川崎球場や大阪球場、セ・リーグのナゴヤ球場やわが故郷の広島市民球場など、小さな球場が多かった中、西武球場はまだしも広いほうだと思っていたが、投手には結構狭く感じられていたらしい。
そのころから、われわれライターにとって非常に辛かったのが、この球場に特有の〝苦行の階段〟である。
西武球場では試合後、ビジターチームのぶら下がり取材の際、監督、選手、コーチにくっついてベンチ裏から駐車場まで約4階ぶん(※個人の感覚です)の長い長い階段を上らなければならなかった。
この辛さ、苦しさ、しんどさたるや、ハッキリ言って12球場一。
陽岱鋼が巨人でプレーしていたころ、一段飛ばして駆け上がって行かれたときは、何とか最後まで追いすがってコメントを取ったものの、息が切れ、足が張り、なかなか動悸が収まらず、一瞬死ぬのではないかと思ったほど(※これも個人の感覚です)。
常人より体力のある選手にとっても、猛暑で疲労の溜まる夏場、ヘトヘトの状態で階段を上るのは大変。
ソフトバンクのクローザーを務め、MVPに輝いたこともあるサファテが、汗びっしょりのまま階段の途中で腰を下ろし、「きょうはここで話をしよう」と言い出したこともあった。
外国人選手ですら音を上げるほどだから、高齢の監督にはもっとこたえていたらしい。
実際、仰木彬さんはオリックス監督時代に何度か途中で何度か立ち止まっていたし、野村克也さんはシダックス監督時代、階段を上らず、電光掲示板の下からグラウンドへ迎えの車を乗り入れさせていたほど。
そうした中、広島カープでは野村謙二郎監督時代、階段のぶら下がりをやめ、ベンチ横の別室で取材対応。
今のチームは新井監督以下、選手もコーチも階段を上りきった後に囲み取材に応じることになっているので、われわれ取材陣はベンチ裏まで降りたりせず、最初から駐車場で待っていればいい。
きょうの試合は5-0でカープが快勝し、囲み取材の場に現れた新井監督はいつにも増して爽やかに対応してくれました。
ちなみに、きょうは広島カープにとって大きな節目となった1万試合目、勝利で飾れてよかった、よかった。