先月は首位攻防戦、今月は最下位攻防戦⚾

ハマスタ周辺にはこんなきれいなバラが

帰京後のプロ野球取材1試合目はやはり横浜スタジアムから。
4月は首位攻防戦だったDeNAー中日、1カ月経ったらともう最下位攻防戦である(DeNAは6位、中日はヤクルトと並んで同率4位)。

しかも、DeNAの1番度会、中日の4番中田と、首位争いの主役だった選手がそろって前日16日に登録抹消されたばかり。
プロ野球の世界、結果を出せない選手、満足にプレーできない選手が出場できないのは当然とはいえ、いなくなるのがあまりにも早過ぎやしないか。

中田は15日の阪神戦で左足首に自打球を当て、左足首をかばいながらプレーしているうち、右太ももに軽い肉離れを起こしたという。
まだ35歳と老け込む年ではなく、報道陣に早期復帰の意気込みを語っているのがせめてもの救いかな。

度会の二軍落ちは、正直、時間の問題だったと思う。
打撃では左投手、落ちる変化球を打ちあぐみ、見逃し三振をすると審判の判定へ不満や苛立ちを露わにするなど、メンタルも健全な状態にあるようには見えなかったから。

そんな状況の中、DeNAではオースティン、中日ではビシエドがそれぞれ度会、中田と入れ代わりに昇格してスタメン出場。
ビシエドは相性のいい東からしっかり2安打していたけど、結果はその東が粘り強く投げ、2-1でベイスターズが競り勝った。

ところで、最後にどうでもいいようで、どうでもよくないネタをご紹介。
DeNAで最後まで練習中も試合中も決してマスクを外さなかった打撃コーチの田代富雄さんが、ついにノーマスクとなりました。

あの特長ある大きな顔はベイスターズのみならず、昭和のプロ野球を代表する顔のひとつ。
未見のファンはぜひ、テレビ中継をチェックしてください!

試合前メシは久々に定番の王道、崎陽軒のシウマイ弁当でした
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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