スターもエースも、コーチもライターもみんな等しくトシを取る⚾👴

かつて山下書店があったところ 東京ドーム周辺の光景も変わりました

「レジェンドが来てますね、レジェンドが」

オープン戦最終戦の巨人ー楽天戦が東京ドームで行われたきょう、僕がグラウンドの片隅で巨人の練習を見ていたら、そんなふうにイジってくる選手がいました。
ここではあえて名は伏せますが、よく僕の記事を読んでくれているベテランです。

気がついたら、この選手もいつの間にかチーム最年長。
オープン戦最終カードで一軍に合流し、元気な姿を見せてくれているのはA先生としてもうれしい…って、名前を伏せたことになってないか。

こんなふうに、巨人の現場で僕が認めてもらっているのは、長年つきあいが続いている川相内野守備コーチのおかげです。
実際、解説の仕事で来場していて、久しぶりに会った阿波野秀幸さんにもこんなことを言われた。

「ずっと川相コーチ担当ですね」
「いや、担当してるわけじゃないけど、そんなようなものかな」
「僕、川相コーチとは同い年なんですよ」

そう聞いて、1980~90年代に近鉄の主戦投手を務め、「トレンディーエース」と呼ばれた阿波野も今年でついに還暦か、と妙な感慨が湧きました。
不思議なもので、川相コーチが今年で60歳になることについては、またひとつトシを取るんだな、という現実的な認識しか覚えなかったんだけど。

若手時代から老け顔のため、「ジイ」と呼ばれていた川相コーチとは違い、全盛期の阿波野さんは追っかけギャルの多いアイドルだった。
ロッテ・高沢秀昭に同点ホームランを打たれてリーグ優勝を逃し、悲劇のヒーローとして全国的存在となった「10.19」は1988年のこと。

「あれがあったから、いつまでもいろいろな形で取り上げてもらえるんですよね」

そう阿波野さんが振り返ったあのシーズンは、僕が野球記者となった年でもあった。
日刊現代運動部への異動が半年でも遅れていたら、61歳になったいま、ご本人と昔話をすることもなかっただろう、と思うと、人生は巡り合わせとタイミングだなあ、とつくづく思いますね。

なお、きょうの試合は巨人が丸、坂本の一発攻勢などで前半に5点を奪うも、六回以降の馬場、西舘、ケラーら中継ぎ陣が7四球と乱れに乱れ、3-7で楽天に逆転負け。
個人的には、先発から抑えに転向し、きのうに続く連投で1点失いながらも、九回を締めた楽天・則本に話を聞けたことが収穫でした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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