17世紀、イタリアのトスカーナ地方の基礎自治体ペーシャで、キリストの聖痕が現れたと主張し、教会と街に大混乱を引き起こした実在の修道女ベネデッタ・カリーニの生涯を描いた作品。
テーマが宗教とセクシュアリティで、監督が暴力と性描写の過激さで知られるポール・バーホーベンだから、非常にどぎつい場面が多く、劇場公開時はR18、つまり昔でいう成人映画に指定された。
幼くしてテアティン修道院に入所したベネデッタは、聖母マリア像に祈りを捧げている最中、突然倒れてきた像の下敷きになりながら傷ひとつ負わず、周囲の修道女たちに「奇跡が起こった」と驚かれる。
18年後、成人したベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)はキリストに求愛されて結婚する夢や幻視を見るようになり、ついには十字架に磔にされたキリストが両手両足に負った傷、いわゆる聖痕が自分に現れたと言い出す。
フェリシタ修道院長(シャーロット・ランプリング)はベネデッタの自傷行為だと疑っていたが、ベネデッタの聖痕は本物だと信じ込んだペーシャ住民の間で大評判に。
この盛り上がりが寄付金の増額と自分の地位向上につながると睨んだアルフォンソ主席司祭(オリヴィエ・ラブルダン)はベネデッタの聖痕を本物と公式に認め、まだ若い彼女を修道院長に抜擢し、フェリシタを一介の修道女に格下げしてしまう。
そんなベネデッタと愛し合い、陰で支え続けるのが、ベネデッタのおかげで修道院に入ることが叶ったバルトロメア・クリデッリ(ダフネ・パタキア)。
ふたりの性愛描写はかなり露骨で、最初に一緒に排便する場面、小さな木製のマリア像をディルド(張形)にして使用するシーンなど、かなり露骨な描写が目立つ。
何もここまでやらなくても、と非キリスト教徒の日本人としては思うが、史実として当時の教会は器具を使用した性行為を文書で禁じていた。
現実にディルドを使っていたとバレたことが、のちにベネデッタを窮地に追い詰める要因になるのだから、バーホーベンとしては避けて通るわけにはいかなかったのだろう。
ベネデッタを演じるエフィラは大変な熱演で、最後の最後まで自分にはイエスが憑依していると主張する姿は『エクソシスト』(1973年)でリーガンを演じたリンダ・ブレアを彷彿とさせるほどの迫力。
溌剌とした雰囲気と若々しい押し出しの強さは、20歳そこそこに見えるかどうかはともかく、とても実年齢が46歳とは思えない。
真っ向からエフィラと対決するランプリングも77歳にして体当たりの演技を見せ、クライマックスではエフィラを完全に食っているほど。
さすがはバーホーベンと言おうか、最後は炎と血飛沫が飛び交い、下手なバイオレンス・アクションも顔負けのド迫力で、宗教観とセクシュアリティというテーマなど、正直言ってこちらの頭からは吹っ飛んでしまった。
あえて難癖をつけるとすれば、ベネデッタが本当は何を考えていたのか、いまひとつ理解しにくく、腑に落ちないことだろうか。
ただし、これはオランダ人のバーホーベンと日本人のこちらの宗教観の違いによるもので、如何ともし難いのかもしれないが。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑