20世紀の最強かつ最凶の独裁者だったヒトラーとスターリンが、どのように苛烈な攻防と暗闘を繰り広げていたか、当時の映像をレストア、カラー化して構成したドキュメンタリー作品。
1933年、ヒトラーが首相に上り詰めることができたのは、実はドイツの共産党に選挙工作を命じたスターリンの策謀によるものだった、という意外な指摘から本作は始まる。
コミュニストのスターリンにとって、ファシストのヒトラーはいずれ打ち倒さなければならない敵だったが、当時のスターリンの所期の目標はまずイギリスとフランスを占領すること。
そのためには、表向き主義主張の相反するヒトラーのドイツを味方につけておきたかったのだという。
ただ、この時点でスターリンがそう考えたのは、ヒトラーがソヴィエト領征服を唱えた著書『わが闘争』を読んでいなかったからだそうで、事実とすればちょっと間抜けな話。
一方、スターリンから密使を送られ、友好関係を築きたいとのメッセージを受け取ったヒトラーは、最初はこれを無視し、大胆にもスターリンを焦らすような態度に出る。
その後、様々な駆け引きや衝突を繰り返した両者は、1939年にいったん独ソ不可侵条約を締結するものの、スターリンはその後、ドイツを敵に回したイギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領と同盟関係を結ぶことを選択。
条約を一方的に破棄されたヒトラーは、スターリングラード攻防戦(1942〜1943年)でソ連に猛攻撃を仕掛けるが、あと一歩のところでスターリンの反転攻勢に遭って敗走を余儀なくさせられる。
その間、ヒトラーとスターリンの両者が繰り返した無辜の民に対する虐殺の映像が凄まじい。
とくにヒトラーがロシア領内で殺害した数十万人のユダヤ人、ソ連軍がカティンの森で銃殺した2万2000人のポーランド将校の死体の山など、初めて見た映像には慄然とさせられた。
1943年2月に発覚したカティンの森の虐殺は、ソ連の仕業であることが明らかになりながら、ドイツに擦りつけたいチャーチルとルーズベルトの思惑により、ヒトラーが命じたものだと流布され、これが定説とされた。
この経緯と真相は、カティンの森で父親を殺された名匠アンジェイ・ワイダが、63年後の2006年に映画化(『カティンの森』)している。
ヒトラーが自殺した首相官邸の映像では、焼身自殺したゲッペルスの黒焦げの死体、その傍らに横たわる毒殺された6人の子供の死体も映っている。
ヒトラーは死の直前、スターリンに完敗した自分の不明を恥じてか、「生まれ変わったらスターリンのようになりたい」ともらしていたそうだ。
プロパガンダ色の強いドキュメンタリーなので、素直に感動できない部分もあるが、現代の鑑賞に堪えるようレストア、カラー化された映像には、作り物にはない迫力と説得力がある。
ただし、残酷なシーンも非常に多いので、青少年の鑑賞には保護者の指導が必要かもしれません。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑