とりあえず、お母さんは喜んでくれたようです

実家の玄関前にて

きょうは父親のお墓参りに次ぐ帰省の最重要任務、母親の付き添いに専念しておりました。
まず、午前中に行わなければならない第一のミッションは眼科検診。

竹原市の眼医者は日谷眼科ひとつで、かかりつけの患者は母親と同じ高齢者が多い。
いつもはメチャ混みなのに、きょうは意外に空いていて、診察開始時間の朝9時早々から検査がスタート。

幸い、左右ともこれといった異常はなく、加齢による白内障も手術を要するほどではない、とかかりつけの亀井先生に言われてホッと一息。
診察終了は9時半と、これまでの検診で〝最短記録〟となりました。

第二のミッションは父親の一周忌で、母親に仏壇でお線香をあげてもらうこと。
一周忌の命日だった今月13日、母親はグループホームの「敬老会」出席のため、父親のお墓参りができなかったので。

最初は目を潤ませながら仏壇に近況を報告し、「この家も英一がきれいにしてくれとるけんね」と語りかけていたお母さん。
一息つくと、ポツリとこうもらしました。

「それにしても、死ぬ前はようお父さんにおらばれた(怒鳴られた)なあ」
ここで思わず、僕も「わしもなんべんもおらばれたで」と相槌を打ち、ふたりで大笑いしてしまった。

死を間近に迎えた父親は当時、いわゆる「ハイリスクせん妄」を患い、つまらないことでしょっちゅう「何をしょうるんなら!」「どこを見ょうるんなら!」と癇癪を破裂させていた。
正直、父親がそんな状態にあるときは、もう先が長くないとわかっていても、腫れ物に触るようにしか接することができませんでした。

そのころの辛く、ストレスの溜まる出来事が、1年経ったいまではもう、母親との間で笑える思い出話になっている。
これが時の為せる業なのでしょうか。

とりあえず、いつもグループホーム暮らしをしている母親には、実家で楽しい一時を過ごすことができたと感じてもらえたらしい。
と、ホッとしたところで、明日、東京へ帰ります。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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