1986年に発生したチェルノブイリ(ウクライナ語表記ではチョルノービリ)原発爆発事故から17年後の2003年、いまではウクライナ領となっている土地で暮らす人々にどのような影響をもたらしたかを描いたドキュメンタリー作品。
2004年アカデミー賞の短篇ドキュメンタリー賞を受賞し、2006年には国連総会でも上映され、大きな反響を巻き起こしたが、日本では何故か長らく劇場公開もテレビ放送もされていなかった。
福島第一原発の放射性物質を含む処理水の海上放出が重大な社会問題となっている折、この映画がふたたび注目を集めることを願い、初鑑賞時のレビューを再掲します。
本作は2011年、東日本大震災による福島第1原発の爆発事故を受けて、ドキュメンタリー作家の稲塚秀孝監督が配給権を獲得。
公開時にはマリオン・デレオ監督による日本へのメッセージが添えられ、2008年に新たに撮影した短篇『ホワイト・ホース』とともに上映された。
開巻、チェルノブイリ原発から排除された放射能の汚染水はわずかに3%で、そのほとんどがまだ残されており、放射線を防ぐためにつくられた石棺も朽ち始めていることが説明される。
この冒頭の描写だけでも、観ていて寒気がする。
デレオ監督がチェルノブイリから80㎞離れたベラルーシ・ミンスクの病院を訪ねると、甲状腺がんを患い、手術を受けたばかりの若者が次々に登場する。
朴訥な口調でインタビューに答える彼ら・彼女らは、みんなまだ10代後半から20代前半だ。
カメラはさらに、捨てられた子どもたちを保護している病棟へ入ってゆく。
いわゆる「チェルノブイリ・ベビー」と呼ばれる障害児で、写真を目にしたことはあったが、動画で見たのは初めてだった。
手足が畸形の子ども、脳が頭蓋骨からはみ出している子ども、腎臓が膨れ上がってこぶのようになっている子ども。
それでも精神に障害を負っていない子どもは、「大人になったらお医者さんになって、ぼくのような子どもたちを助けたいんだ」と健気に話す。
ベラルーシでは現在、健常児の出生率は15~20%で、ほとんどの子どもが何らかの障害を抱えて生まれている。
とくに多いのが、心臓に穴が空いている疾患だ。
これがタイトルの「チェルノブイリ・ハート」である。
デレオ監督のカメラは産院で「チェルノブイリ・ベビー」が生まれる様子から、ボランティアでやってきたアメリカ人の医者が「チェルノブイリ・ハート」を手術する場面まで、克明に捉えてゆく。
この映画が撮影された時点で、ベラルーシには約7000人の「チェルノブイリ・ハート」の子どもたちがいた。
ボランティアの医師が1人で手術できる子どもの人数は15人。
その間にも、手術の順番を待っている子どもたちが2年から5年の間に数百人単位で死んでいった、という。
この映画が突きつける現実はあまりに圧倒的かつ絶望的で、言葉を失った。
見ているうちに涙がにじみながら、流れる前に止まってしまう。
そういう安易な感傷に流れることを許さない力が、この作品にはある。
デレオ監督はこの現実を直視するように呼びかけ「それでも私たちは生きなければならない。生きるということはどういうことかを考えてほしい」と主張する。
日本でもいま、福島の原発事故によって被曝した人たちの間で、子どもを生むべきか否かが大きな議論になっている。
そういう人たちをはじめ、福島に関心を持つ日本人のすべてに、この映画を観てもらいたい。
賛否両論はあるだろう。
しかし、まずは放射能に関する現実を直視することから始めなければならないのだから。
オススメ度A。
旧サイト:2011年08月16日(火)Pick-up記事を再録、修正
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