『ひめゆりの塔』(1953年版/新文芸坐)🤗😱

127分 東映 1953年 モノクロ
@新文芸坐:2015年8月23日

PICKUP前項のドキュメンタリー『ひめゆり』(2007年)に描かれたひめゆり学徒隊を初めて映画化した作品で、2015年8月23日、『ひめゆり』と併せて上映された。
社会派の巨匠・今井正による大変な力作だが、『ひめゆり』に証言者として登場した元ひめゆり学徒隊の本村つるさんはこう語っている。

「戦後、ひめゆりを題材に小説や映画が数多く世の中に出ましたが、それらのほとんどがフィクションです。
実は、私たちはそれらが出るたびに、落胆し、憤慨していました。」
(※公式HPより)

実際、ドキュメンタリー『ひめゆり』を見たあとでは、本作『ひめゆりの塔』はいかにも作り物めいて見える。
学徒隊と傷病兵が南風原病院から荒崎海岸へ移動せざるを得なくなるまでの描写は酷薄を極めているものの、糸洲部落の民家に転がり込んだ少女たちが池で水遊びをしたり、みんなで沖縄民謡を歌って踊ったりする場面は、いかにも昭和時代らしい青春学園ドラマのようでリアリティが感じられない(このくだりは今井正本人がリメイクした1982年版でも最大の弱点となっている)。

しかし、のちのリメイク作品と比較すると、最初に映画化された本作が最もリアルにひめゆり学徒隊の悲劇を伝えているのも確かだ。
岡軍医役の藤田進、佐々木軍医長役の加藤嘉をはじめ、玉井先生の岡田英次、大高見習士官の原保美、軍医の土屋嘉男ら、戦争を知る世代の醸し出す雰囲気は到底現代の役者に真似できるものではなく、彼らの存在自体がモノクロの画面に厚みを与えている。

また、迫撃砲が炸裂する描写も、のちの特殊効果が発達した1982年版、1995年版よりも迫力に満ちている。
これら一連の場面には円谷英二がノンクレジットで協力したという説があるが、あながち眉唾とも思えない。

とりわけ、少女たちが次から次へと手榴弾で自決を繰り返し、機銃掃射の銃弾に倒れるラストシーン救いようのなさはまことに強烈。
ぼくが子供のころに見ていたら、間違いなくトラウマになっていたはずだ。

1953年公開の本作が撮影されていた前年52年、日本はまだ連合国の占領下にあり、沖縄に至っては〝外国〟だった。
そうした時代にこういう反戦映画を製作しようとしたこと自体、監督・今井正、プロデューサー・マキノ光雄の映画人としての気概を感じないではいられない。

原作は沖縄出身の作家・石野径一郎の小説で、のちに菊池寛賞を受賞した水木洋子が脚本化している。
何より、ひめゆり学徒隊の悲劇が現代まで繰り返し語られるようになったのは本作の功績が大きく、その意味でも再評価されるべき作品だろう。

オススメ度A。

旧サイト:2015年08月26日(水)Pick-up記事を再録、修正

A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨  D=ヒマだったら😑

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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