『日本のいちばん長い日』(2015年版)😉

136分 2015年 松竹、アスミック・エース
@新宿ピカデリー 2015年8月16日PM4:55〜

先日、初めて岡本喜八版(1967年製作)を鑑賞したからには、劇場公開中のこちらもチェックしておかねばと思い、散髪のあとで時間ができたきょう(2015年8月16日)の午後、さっそく新宿ピカデリーへ見に行ってきた。
16時55分からの回は最前列や端っこまでほぼ満席で、新宿という場所柄か、意外に若い世代の観客も多かった。

喜八版に比べると、出来映えは一長一短。
しっかり作り込んでいると感心させられた半面、これはないんじゃないの? と首を傾げたくなった部分も少なくない。

喜八版ではいきなりニュース映画風に幕が開き、1945年8月14日未明、鈴木内閣のポツダム宣言受諾の打電から昭和天皇の玉音放送までの24時間が「日本のいちばん長い日」になった、とナレーションが流れる。
そこへ画面いっぱいに筆書きのタイトルがドーンとかぶさる、という昔の東宝の大作映画ならではの有無をいわせぬオープニングだった。

一方、この原田眞人監督版は、ポツダム宣言より3カ月以上前の4月、早期戦争終結を望む天皇(本木雅弘)に、鈴木貫太郎(山﨑努)が組閣の大命を降下されるところからストーリーが始まる。
政権を陸軍に握らせたい東条英機(中嶋しゅう)に食ってかかられ、これに鈴木が真っ向から反論するくだりが興味深い。

総理に就任した鈴木は、最も慎重に選ぶべき陸軍大臣に、自ら本土決戦派の阿南惟幾(役所広司)を推薦。
この阿南がポツダム宣言受諾、終戦の詔書作成に当たり、散々鈴木を悩ませたことは喜八版にも描かれている通りだが、実はこのふたり、天皇の下で鈴木が侍従長、阿南が侍従武官を務めていたころから気脈を通じ合った仲でもあったのだ。

そうした人間関係の綾や機微については、喜八版ではほのめかされている程度で、ほとんど触れられていない。
原田版ではこの天皇、鈴木、阿南の3人の関係をシナリオの縦軸に据え、荘重な人間ドラマとして「日本のいちばん長い日」に至る経過を描いてゆく。
 
喜八版と原田版のキャスティングを比較すると、鈴木=笠智衆・山﨑努、天皇=8代目松本幸四郎・本木雅弘、阿南=三船敏郎・役所広司。
どちらも制作当時の日本を代表する顔ぶれで、役者の格としては甲乙付け難いところだろう。

しかし、人間的深みが描かれているという点では本作の原田版が上回っていると言っていい。
喜八版はあくまで「日本のいちばん長い日」を多角的にわかりやすく、ダイナミックかつ迫力たっぷりに物語ることに主眼が置かれており、そのぶん歴史上の人物がいささか紋切り型のキャラクターとして単純化されていたからだ。

ところが、終戦の詔書をめぐる閣議が紛糾し、陸軍の畑中健二少佐(松永桃李)らが宮城事件を引き起こす後半になると、今度は人間描写に重点を置いている原田版の弱みがいっぺんに出てしまう。
とくに、徳川義寛侍従(能・狂言俳優の大藏基誠、喜八版では小林桂樹が好演)が玉音盤を宮城内部に隠すくだりにまったく触れていないため、一向にサスペンスが盛り上がらず、ここは喜八版よりも劣っていると言わざるを得ない。

また、全体的に画面がキレイなのはいいとして、その半面、ナレーションがまったくないので、史実をよく知らない観客には事実関係が呑み込みにくい。
観どころも観ごたえもたっぷりながら、いろいろなところで、惜しいな、とつぶやきたくなったリメイク版である。

オススメ度B。

旧サイト:2015年08月16日(日)Pick-up記事を再録、修正

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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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