旧広島市民球場「ラストゲーム」の思い出⚾️

旧広島市民球場、最後の試合が行われた2008年9月28日は曇りだった

最近、マツダスタジアムへ取材に通い、旧知のカープOBや地元メディア関係者の方々に会うと、ついつい昔の本拠地、旧広島市民球場の話になる。
しかし、いまやマスコミ業界も「マツダスタジアムしか知らない」世代が圧倒的多数で、A先生のようなジイさんの話はまったくピンとこないらしい。

旧市民球場で最後の公式戦が行われたのは、15年前の2008年9月28日(ヤクルト戦)だから、それほど古い話ではないんですけどね。
ホームページの旧サイトを検索したら、当時ラストゲームを観戦に行った広島出身の知人が送ってくれた画像が出てきたので再掲しておきます。

昔の切符売り場はこんなふうでした
このアングルからだと結構広く見える、かな?
当時のジェット風船は膨らませるとピンク色になった
当日の試合前、観客に配られた紙

僕のプロ野球取材歴は1988年からスタートしており、2000年ぐらいまでは毎年のようにここでカープ戦の取材をしていました。
当時勤めていた日刊ゲンダイでは巨人を担当していたので、カードはほとんどが巨人戦。

2006年からフリーになり、現在のマツダスタジアムでも何度も取材しているけれど、足を運んだ回数は圧倒的に旧市民球場のほうが多い。
新井監督の現役時代も、カープの選手としてプレーした年数は旧市民球場が9年(1999〜2007年)、マツダが4年(2015〜2018年)と、昔の本拠地のほうが長いんですよ。

この泥臭い雰囲気が新井さんにはよく似合っていて、いろいろな好プレー、珍プレーを見せてもらいました。
相手チームや若いファンに、狭い、汚い、コワそうなオッサンが多いなどなど、どんなに不評であっても、やっぱりあのころは良かったなあ、と思う。

などとブツクサ言いながら、これからもまたマツダに通います。
旧市民球場を知らないみなさん、楽しんでいただけたでしょうか?

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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