本書の主人公・迫田穆成さんの名前が僕の脳裏に刷り込まれたのは、1973年春のセンバツの準決勝、広島商業の監督として〝怪物〟江川卓を擁する作新学院を破った時である。
その年のセンバツで準優勝、夏の甲子園で初優勝を果たした20年後、迫田さんは1993年から如水館の前身・三原工業の監督に就任した。
当時、高校球界では弱小校に過ぎなかった三原工業、実は僕の父親(昨年88歳で他界)の母校。
そんな高校が如水館となってから、迫田監督の手腕によって甲子園に春夏通算8回出場を果たす。
その後、如水館の監督を退任されると、娘・智子さんが陶芸工房を営む竹原市に移住。
年齢も70代後半に達し、高校球界から身を退いたかと思われていた2019年、79歳にして広島県立竹原高校の監督に就任する。
このBlogに再三書いているように、竹原市は僕が60年前に生まれた町で、竹原高校は実家から自転車で2〜3分の距離にあり、練習や試合が行われていると、打球音や球児たちの声が聞こえてくる。
迫田さんの教え子で広商の準優勝、初優勝に貢献したOB、元カープの名捕手として知られる達川光男さんが何度か竹高へ指導に来られていることも、当然ご本人から聞いて知っていた。
そうしたわけで、一度も面識がないにもかかわらず、こちらで勝手に親近感を感じ、そのうちインタビューさせていただき、どこかで原稿を書けないかな、と考えていたら、こういう本が出版された。
著者は私も仕事でお世話になった中国放送のスポーツアナウンサー・坂上俊次氏である。
本書の読みどころは、野球界にあまねく知られた広商時代、如水館時代の甲子園における武勇伝ではない。
部員僅か11人の竹高野球部の監督となり、公立校ゆえに練習時間も限られている中、孫ほども年齢差のある子供に野球を教えるため、YouTubeやメールのやり取りなど、今時のデジタルツールを駆使してアプローチする知的かつ現代的な指導法だ。
『迫田監督野球チャンネル』で迫田さんが語る試合や練習に関するリポートは、広商時代から長年培ってきた野球観に裏打ちされている。
今時の野球や子供たちの成長過程について話しながら、これからの竹高に何が必要なのか、どうすればもっと強くなれるのか、面白く、わかりやすく、飄々とした口調の裏側にある確かな信念を伝えてくる。
そんな迫田さんの地道な活動が徐々に評判を呼び、昔の教え子、竹高OBや部員の保護者の支援、さらに市役所の協力によって、それまではなかった寮が建てられ、人口2万3000人の小さな町全体の盛り上がりへとつながってゆく。
2022年、広島大会での35年ぶりベスト16進出は、「迫田マジック」であるとともに、竹原の人々の応援の賜物でもあったのだ。
正直、竹原出身の僕としては、この町の熱気を伝えてくるくだりに感動すら覚えた。
こういう本が世に出なければ、迫田さんによるユニークで斬新な指導法が広く知られることもなかっただろう。
竹高が甲子園に出場するまで、迫田さんの「最後のマジック」はまだ道半ば、と思いたい。
とはいえ、本書にも触れられている通り、体調にはくれぐれもご注意していただきたいですね。
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