【緊急追悼寄稿】東スポWEB『赤ペン!!』469/北別府学さんを悼む

名バッテリーだった北別府学さん(右)と達川光男さん(左) 1985年 ©東京スポーツ新聞社

きのうは朝の早い時間に広島市内のホテルから竹原の実家へとんぼ返り。
こちらでひとり暮らしをしている母親の相手をしたあと、今夜は何を食べようかな、やっぱりお好み焼きにするか、などと考えている最中、東スポのM部長から電話がかかってきた。

「先ほど、北別府さんが…」

そこまで聞いただけで、何が起こったのか、察しがつきました。
かねてからお加減が悪いとは聞いていて、そう遠くないうちに追悼原稿を書かなければならないだろう、と思っていたから。

私が野球記者となった1988年、北別府さんは11年連続2ケタ勝利を継続中。
赤ヘル軍団・広島カープの大エースで、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた印象が強い。

北別府さんの4歳年下の捕手・山中潔はサインを出すとき、「ペイさんに首を振られると思わず指がどもった」という。
恐る恐るサインを出しながらも、北別府の要求通りにしたら「3試合に2試合は勝てました」。
北別府さんはそうやって若手捕手に勝てる配球を教えていたのだろう。

そんな山中の先輩で、正捕手・達川光男は当時、北別府さんのスライダーをこう絶賛していた。

「極端なことを言やあ、北別府のスライダーは、100球投げたら100球同じ軌道を通って100球ストライクが取れるんよ。
あんな投手はほかにおらんじゃろう」

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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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