きのうは朝の早い時間に広島市内のホテルから竹原の実家へとんぼ返り。
こちらでひとり暮らしをしている母親の相手をしたあと、今夜は何を食べようかな、やっぱりお好み焼きにするか、などと考えている最中、東スポのM部長から電話がかかってきた。
「先ほど、北別府さんが…」
そこまで聞いただけで、何が起こったのか、察しがつきました。
かねてからお加減が悪いとは聞いていて、そう遠くないうちに追悼原稿を書かなければならないだろう、と思っていたから。
私が野球記者となった1988年、北別府さんは11年連続2ケタ勝利を継続中。
赤ヘル軍団・広島カープの大エースで、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた印象が強い。
北別府さんの4歳年下の捕手・山中潔はサインを出すとき、「ペイさんに首を振られると思わず指がどもった」という。
恐る恐るサインを出しながらも、北別府の要求通りにしたら「3試合に2試合は勝てました」。
北別府さんはそうやって若手捕手に勝てる配球を教えていたのだろう。
そんな山中の先輩で、正捕手・達川光男は当時、北別府さんのスライダーをこう絶賛していた。
「極端なことを言やあ、北別府のスライダーは、100球投げたら100球同じ軌道を通って100球ストライクが取れるんよ。
あんな投手はほかにおらんじゃろう」
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