「ひとりを殺せば悪党だが、100万人を殺せば英雄だ」
「大量殺人者に比べれば、私など殺人者のアマチュアに過ぎない」
3年間で14人の女性を殺害した連続殺人犯アンリ・ヴェルドゥに扮したチャップリンが、アメリカ軍による原爆投下を痛烈に皮肉るセリフを吐く。
こういう映画を、太平洋戦争が終わった翌年、まだアメリカ社会が戦勝気分に沸いている1946年に公開しているのが、いまさらながらにすごい。
当時、チャップリンは米国内で猛反発を受け、司法当局から国外追放されたものの、のちに本作は名作として、チャップリンは勇気ある映画人として、今日まで高く評価されることになった。
そういう歴史的背景を知らずに観ても、本作はブラックユーモアのコメディ映画のお手本とも言うべき高い完成度を示している。
オープニング早々、ヴェルドゥの墓碑が映され、「こんばんは、これが私の本名だ」というチャップリンのナレーションで始まる出だしからして人を食っている。
死者の自己紹介と言えば、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(1950年)が元祖かと思っていたが、その4年前にチャップリンが先鞭をつけていたわけだ。
続いて南フランスの片田舎で庭掃除をしているチャップリンが映り、彼の背後では焼却炉の煙突から一際黒い煙が立ち上っている。
近所の主婦たちがこれを見ながら、「もう3日も燃やし続けているのよ」「おかげで洗濯ができやしない」とブツブツこぼしている場面など、〈モンティ・パイソン〉さながらのブラックさ。
やたらと大声を出すアナベラ(マーサ・レイ)を毒殺しようとしたら、メイドのアネット(エイダ・メイ)が毒入りの瓶を誤って割ってしまったり、ヴェルドゥがボルドーに見せかけた毒薬を飲んだと勘違いして慌てふためいたり。
アナベラ殺害に失敗したヴェルドゥが、グロネイ未亡人(イソベル・エルソム)と偽装結婚しようとしたら、その披露宴にアナベラがやってきて逃げ出さざるを得なくなる、というくだりも大いに笑える。
ヴェルドゥはその半面、刑務所から出所したばかりの若い美女(マリリン・ナッシュ)を一度は毒殺しようとしながら、彼女が戦争未亡人で、やむなく窃盗を働いたという身の上話を聞き、逆に金を与えて返してしまう、という人情家の一面も見せる。
この美女がのちに軍需産業の経営者と再婚し、見違えるほど派手に着飾ってタクシーに乗っていた最中、落ちぶれたヴェルドゥを発見してランチを奢るシーンが実にいい。
ナッシュの好演もあり、彼女に優しくされたヴェルドゥが逃亡生活を断念、警察に自首する心境が納得できるように描かれている。
こういうトーンや雰囲気の転換をごく自然にできるところが、チャップリンならではのセンスであり、演出力である。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑