『ライムライト』(NHK-BSP)🤗

Limelight 
137分 モノクロ 
1952年 アメリカ=ユナイテッド・アーティスツ 日本公開:1953年 松竹

60歳を過ぎた独り者の物書きにとっては、これから人生の晩年をどのように生きるべきか、そう問いかけられているような映画である。
それは、本作でチャップリンが演じている忘れられたコメディアン、カルヴェロに自分がオーバーラップするから、という単純な理由によるものではない。

本作はチャップリンが生涯をかけて情熱を注ぎ、彼の代名詞にもなったコメディではなく、堂々たるメロドラマ映画である。
落ちぶれて酒浸りになっている主人公カルヴェロはある日、同じアパートの階下の部屋でガス自殺を図った娘テリー(クレア・ブルーム)を救う。

テリーは元バレリーナだったが、舞台出演直前に精神的重圧から足が動かなくなり、歩くことさえできず、将来を悲観して死のうとしていたのだ。
そんなテリーを再起させようと、カルヴェロは彼女を自分の部屋で看病しながら、熱い言葉で懸命に励まし続ける。

一方で、カルヴェロの仕事は思わしくなく、久しぶりのステージで昔からの持ちネタ「ノミのサーカス」を披露したら、観客に次々に席を立たれて落胆。
自分の部屋に帰り、「俺はもう終わった」と悲嘆に暮れていると、今度はそんなカルヴェロをテリーが優しく慰める。

カルヴェロを元気づけているうち、テリーの麻痺した足も動くようになり、半年後には大劇場〈エンパイア・シアター〉でバックダンサーができるまでに回復。
支配人ポスタント(ナイジェル・ブルース)に認められ、バレエ公演のプリマに抜擢された。

カルヴェロもテリーの舞台で道化の役を与えられ、名前を隠して出演。
公演が大成功に終わったところで、テリーからカルヴェロにプロポーズするが、カルヴェロは「私は年寄りだから」と悲しげに断り、作曲家ネヴィル(シドニー・チャップリン)との結婚を勧めて、テリーの前から姿を消してしまう。

本作の公開当時、実年齢はチャップリンが63歳、ブルームが21歳。
ブルームは実際に元バレリーナで、彼女の舞台を観たチャップリンに女優としての才能を見出され、本作が実質的な銀幕デビューとなった。

この映画は、そのブルームとチャップリンの会話が全体の3分の2を占めており、お互い、落ち込んだときにどのように立ち直るか、これからの人生をどのように生きていくか、という会話が延々と続けられる。
大変生真面目な内容なのだが、飛躍とユーモアに満ちたふたりの議論が非常に面白く、一種独特の迫力で胸に迫ってくる。

製作当時、すでに老境に入っていると自覚していたチャップリンが、長年のコメディアン生活を振り返った感慨のようなものを滲ませている部分もある。
が、その実、「俺はまだまだ現役だ、老け込んでなんかいないぞ」という心の内の叫びが聞こえてくるかのようだ。

本作の公開当時、チャップリンはアメリカの司法当局から要注意人部として捜査の対象になり、一般社会でも大変な批判を浴びていた。
第二次大戦中からドイツのナチズムを批判し、「大戦でナチスを倒したソ連を支持する」と公言し、アカのレッテルを貼られていたためだ。

猛烈な赤狩りの嵐が吹き荒れていたこの時代、本作がプレミア公開されるイギリスへ船で向かっていた最中、チャップリンはついにアメリカ司法長官から事実上の国外追放処分を受ける。
この一連の推移はBS世界のドキュメンタリー『チャップリン対FBI 赤狩りフーバーとの50年』(NHK-BS1)に詳しい。

クライマックス直前、プリマとしての出演を控えたテリーは、またしても精神的重圧から足の麻痺に見舞われ、「足が動かない」と弱虫の泣き言を並べる。
カルヴェロはそんなテリーの頬をひっぱたき、彼女がよろめいて後退ると、「そら見ろ、歩けるじゃないか!」と一喝。

こうしてテリーが見事に再起を果たしたら、彼女はカルヴェロを本格的にカムバックさせようとポスタントに働きかける。
本作の本当のクライマックスはここから先で、チャップリンは特別出演のバスター・キートンを相手に、いまや無形文化財と言ってもいいクラシックなパントマイムを見せる。

キートンは言うまでもなく、サイレント時代からのチャップリンの最大のライバルであり、本作の製作当時は酒に溺れ、表舞台から姿を消していた。
感情的軋轢もあったと噂されたキートンに、チャップリン自ら声をかけた経緯は、BS世界のドキュメンタリー『喜劇王対決 チャップリンvsキートン』(NHK-BS1)で詳しく描かれており、本作の内容を地でいくような逸話である。

チャップリン演じるカルヴェロは、このキートンとのパントマイムで背骨を骨折し、舞台の袖でテリーの踊りを見ながら死んでいく。
堂々たるメロドラマ的幕切れであり、僕も大変感動した。

ただ、その感動をもたらしたのは哀しい結末だけではない。
こういう悲劇的なエンディングを感動的に見せることにより、「俺は終わってないぞ! まだ終わらないぞ!」(今時の言葉で言えば「オワコンじゃないぞ!)と、チャップリンが叫んでいるかのように見えたからだ。

チャップリンの国外追放は20年に及び、本作はアメリカ時代最後のチャップリン作品となった。
それでもチャップリンは本作の後、なお3本の商業映画を製作し、1972年にはふたたびアメリカの地を踏んで、アカデミー名誉賞を授与されている。

オススメ度A。

A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨  D=ヒマだったら😑

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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