バウアー大炎上⚾🔥😱

JR関内駅にはまだこのポスターが貼られていたが

DeNAのサイ・ヤング賞投手トレバー・バウアー、本拠地ハマスタで臨んだ来日3度目の先発登板は、自己最短の2回(69球)8安打7失点でKOと散々な結果に終わった。
初回1死を取ってからカープの野間、秋山、マクブルームに3連続二塁打を連ねられ、西川に2ラン本塁打を浴びて立ち上がりから4失点。

二回も先頭の韮沢に二塁打を打たれ、投手・床田の送りバントで1死三塁とされると、菊池涼の二ゴロを牧が本塁へ送球する野選で5点目。
さらに、野間の代走から途中出場した堂林に四球、秋山、マクブルームに連続タイムリーを浴びてさらに2失点と計7失点である。

野間、西川、韮沢には150㎞台の真っ直ぐが高めに浮いたところを痛打され、秋山にはナックルカーブ、マクブルームにはスライダーが甘く入ったところを捉えられている。
四球に暴投と自らのミスも絡んでおり、言い訳の余地なしの完璧なノックアウトだ。

バウアーは試合前、いつも通りチームの全体練習には参加せず、自分用のルーティンをこなして午後3時頃に球場入り。
プレーボール30分前にはショルダーチューブ、センターややレフト寄りからライトへの大遠投と、これもいつも通り、入念に独自のウォーミングアップをしてからマウンドに上がっている。

バウアーは自ら考案した科学的アプローチ、ドライブラインのメソッドとシステムによってサイ・ヤング賞を受賞するほどの大投手になったと言われる。
しかし、本番の試合で肝心の制球がままならないようでは、どんなに精密なメニューを作り上げ、それを何度も正確に繰り返しても意味がない。

自らを「メジャーリーグで最も科学的な投手のひとりであり、ピッチデザインの第一人者」と称するバウアーは、ここから蘇ることができるのか。
試合後、バウアー本人と三浦監督の話を聞き、不安半分、でも期待もまだ半分の思いを抱えて、これから東京へ帰ります。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る