昨年3月、全米で劇場公開されたノーラン・ライアンのドキュメンタリー映画。
実話ダネかフィクションかを問わず、アメリカには優れた野球映画が数多あるが、実在の名選手を描いたドキュメンタリーは多くはなく、そういう意味では大変貴重な作品と言える。
1963年生まれで1988年から野球の取材を始めた僕は、歴代最多の5714奪三振、通算7度のノーヒットノーランをはじめ、実に51個もの大リーグ記録を達成した偉大なる投手としてのライアンしか知らない。
ところが、1965年にドラフト12巡目でニューヨーク・メッツに入団した22歳のライアンは、それほど将来を嘱望される存在ではなかったという。
メッツ時代の捕手ジェリー・グロートが「ノーランのストレートは172〜173㎞/hだった」と証言している通り、スピードこそ滅法早いものの、コントロールが悪かったからだ。
ライアン本人も大投手になろうという野望を抱いていたわけではなく、故郷のテキサス州アルヴィンで牛を育てていたことから、人生における当初の目標は獣医だったと明かしている。
チームが「ミラクルメッツ」と呼ばれた1969年のナ・リーグ優勝決定シリーズで好投し、一躍その名を知られることになるが、いきなりスターの座に駆け上がったわけではない。
その年のシーズンオフはメルヴィンでエアコンを設置する副業に精を出していたそうだ。
ライアン本人曰く「当時はシーズン中しか給料が出なかったし、メッツとの契約金は7000ドルだったので余裕がなかった」。
ライアンの幼馴染でもあったルース夫人によれば、「ワールドシリーズ優勝で得たボーナスは両親の自宅のローンの援助、自分の牧場用の土地の購入に充てた」という。
このころもまだ、ライアンは「牧畜への情熱」を持ち続け、根っからのテキサス人だったために「ニューヨークは性に合わない」と違和感を感じ続けていた。
「野球以外にも天職があるのではないか」と悩むライアンを、ルース夫人は「ノーラン、あなたには野球の才能がある。もう少し続けてみたら?」と励まし続ける。
1971年にトレードされることが決まり、西海岸の球団だと聞いててっきり名門ドジャースだと思ったら、創立10年目の新興球団エンジェルスだと知らされて「死にたくなった」そうだ。
ライアンのファンにはよく知られたストーリーなのかもしれないが、僕にとっては意外なエピソードの連続。
ピート・ローズ、ロジャー・クレメンス、ランディ・ジョンソン、ジョージ・ブレット、デーヴ・ウィンフィールドなどなど、次から次へと登場する証言者も超豪華版。
知っているようで知らないメジャーリーグの歴史の勉強にもなり、ライアン家の孫まで勢揃いするエンディングには心温まるものを感じました。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗😱 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑