阪神・村上の〝完全試合未遂降板〟、巨人ベンチはどう見ていたか⚾️

試合前、巨人・原監督と阪神・岡田監督のメンバー表交換

きょうのプロ野球は大宮市営野球場の西武ーロッテ、東京ドームの巨人ー阪神の2カードのみ。
それならやっぱり自宅から近いほうへ行こうと、正午過ぎに東京ドームの関係者入口へ行ったら、受付は午後1時からだという。

一昨日は同じ時間に入れたのに、なぜダメなのかと聞くと、その日は練習前に岡本和の会見が行われるという事情により、報道陣の入場時間を早めたのだそうだ。
僕はそうとは知らず、記者席に着いてすぐ、アーリーワークの打撃練習の画像をSNSにアップしたため、「なんで入れたんだろう?」と同業者の友人が首を捻っていたと、きょうになって知った。

そう言えば、きのうのベルーナドームでも受付40分前の午後1時20分にウォーミングアップの画像を上げてしまい、あとで「びっくりした」とライターの友人に言われている。
こういうフライングを続けていると、またどこかからお小言を頂戴しかねないので、当分はSNSへの投稿を控えめにしておきたいと思います(なるべくね)。

さて、定刻の午後1時に東京ドーム入りすると、巨人の一部コーチ陣との雑談で、きのうの阪神・村上の〝完全試合未遂降板〟が話題になりました。
メディアではなく個人ブログなのでコーチの名前は出せませんが、なかなか興味深い内容だったので、忘れないうちに要旨を記しておきます。

まず、なぜ巨人打線は七回までまったく村上を打てなかったのか。
実は、きのうの巨人の先発オーダーには、過去に村上と対戦した選手がひとりもいなかった。

しかも、村上は公称175㎝とそれほど大柄ではなく、投球に角度もないのに、手元にくると意外なほどビュッと伸びるので、なかなかタイミングが合わなかったという。
打ち取られた選手からは、「スピードガン表示は147㎞ぐらいなんだけど、実際に打席で見ると5㎞増しの152㎞ぐらいに感じられた」という声もあがっていた。

巨人ベンチにいた選手で、過去に村上との対戦経験があったのは控えの野手2人だけ。
一応、試合前のミーティングでは、彼らが「手元で差し込まれるから要注意」と村上の特長を話していたそうです。

しかし、百聞は一見にしかずで、「話で聞くのと、実際に打席で見るのとでは全然違っていた」というのが選手たちの印象。
それでも、五回以降は球が浮き始めていたため、徐々に捉えられるようになってきてはいた。

村上はファームではリリーフだったから、それほど多くの球数を投げた経験に乏しく、巨人ベンチとしては「そろそろスタミナ切れだ」と見ていたそうです。
阪神・岡田監督もそれに気づいていたから、八回に代打・原口を送ったんでしょうね。

ただ、巨人サイドの某コーチが言うには、「リードが3~4点あったら続投だよ。1点しかリードしてなかったから、勝利を優先して交代させたんだ」。
さらに、別のコーチは「きのうの村上のピッチングは1年に一回できるかどうかという最高のピッチング。アレを次の試合でもできるかどうかでしょう」。

試合後、阪神はベンチ前でハイタッチ

なお、今夜の試合は4-1で阪神が勝ち、今年最初の伝統の一戦、15年ぶりの岡田 vs 原対決に勝ち越し。
初スタメンで勝ち越しの1号ソロ本塁打を放った渡辺諒がヒーローインタビューで「日本ハムから来ました渡辺諒です! 応援よろしくお願いします!」と叫び、レフトスタンドの阪神応援団から拍手と歓声を浴びていた。

一方、渡辺諒に一発を浴びてプロ初勝利がお預けとなった横川は、「甘く入ったボールをとらえられてしまいました」とガックリ。
「何とか粘り強く投げきりたかったですが、粘りきれず悔しいです」と反省の弁を並べていました(以上は試合中の広報談話)。

それにつけても、このカード、きょうの観衆も3万5545人と、3日連続3万人台だったのは寂しい限り。
プロ野球ファンのみなさん、もっと球場に足を運びましょう!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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