WBCの余韻、余熱の冷めやらぬ中、繰り返し語られているのが、決勝ラウンドでの村上宗隆の劇的な復活ぶりである。
開幕後から不振のどん底にあえぎ、4番から5番に下げられながら、準決勝で逆転サヨナラタイムリー。
決勝では特大の同点ソロ本塁打。
そんな「村神様」の勇姿を、2006年第1回大会の準決勝で代打決勝2ランを放った福留孝介、09年第2回大会で優勝を決める2点適時打を打ったイチローと重ね合わせる声も多い。
そこで思い起こされるのが、平成時代における「元祖短期決戦復活弾」。
いまから34年前の平成元年(1989年)、巨人-近鉄の日本シリーズ第5戦で原辰徳・現巨人監督が放った満塁本塁打だ。
この年、三塁から左翼へコンバートされた原は打率2割6分1厘と自己最悪の数字を更新。
25本塁打、74打点もワースト記録の一歩手前と大不振だった。
第1戦から4番として出場した日本シリーズでも調子が上がらず、第2戦で5番、第3、4戦では7番に下げられた。
原はそれでもヒットの1本すら打てないまま、第4戦まで実に18打数ノーヒット。
巨人も近鉄に初戦から3連敗し、第4戦でやっと一矢報いて1勝と、土俵際の苦しい戦いが続いていた。
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