実家のメンテナンスは手間がかかる🏠🌸

亡父が実家前の賀茂川土手に植えた桜(手前の5本)は五、六分咲き

先週24日から5泊6日、竹原での帰省生活もきょう29日でいったん終了。
毎回、帰る前はあれをやっておきたい、これもしておかなければ、などとあれこれ計画を練るんだけど、結局は半分もできずに東京へ舞い戻る羽目になる。

とくに今回は仕事を持ち帰っていた上、帰省中に新たな原稿の注文も舞い込み、ぼんやりしていられる時間がほとんどなかった。
いや、60歳になってもそれだけ依頼があるのは、むしろ、じゃなくて、まったくありがたい話なので、愚痴ってるわけではありません。

今回の帰省の第1の目的は、いつも通り、何よりも施設にいる母親の様子を見に行くこと。
まだコロナ禍の規制が残っている折、僕が施設の中に入ることはできないけれど、携帯電話を使って窓越しにお母さんと会話をすることはできる。

新型コロナウイルスが2類から5類に移項される5月8日以降は、施設内での面会も認められるらしい。
だから希望を持って、元気にしていて、とお母さんに話しかけると、「は〜い!」と明るい返事が返ってきてホッとしました。

第2の目的は実家のメンテナンス。
これがいろいろと面倒臭くてね。

まず最初に手間がかかったのが、実家のWi-Fi環境の整備。
父親が亡くなった昨年9月以降、父親が契約していたソフトバンクのひかり電話込みの契約を解除し、Wi-Fiだけ残そうとしたところ、名義だけ変えるわけにはいかず、僕個人として再契約を結ぶには、いったん東京の現住所で新規契約を結ばなければならない、と言われた。

しかも、これだけではまだ実家のWi-Fi環境は復活しない。
新規契約を開通させるには、実家のターミナル端末を東京の自宅へ持ち帰って、そこへ新規契約成立後に送られてくるSIMカードを挿入。

そこまでやって赤坂英一名義の開通がソフトバンクのシステムに認知されたら、そこでやっとこさ、どうぞ、実家へ持って行ってお使いください、という話になる。
おかげで、実家でのこのBlog更新も可能になったわけだけど、何だかねえ、デジタル時代とは思えないアナログ的な手続きの連続で、釈然としませんでしたね、あたしゃ。

次に、27日には浄化槽のメンテナンスがあった。
実家のトイレは水洗式なんですが、下水道が通っていないため、いったん浄化槽に溜まったものを、定期的に地元の清掃会社に吸い上げてもらわなければならない。

ただ、浄化槽の蓋はもちろん家の外にあるので、作業前の手続きさえ済ませれば立ち会う必要はありません。
あとは、家の中で原稿を書きながら、終わった知らせを待っていればよかったんですけどね。

その待ち時間を利用して、照蓮寺へ父親の墓参り。
こちらでも桜が蕾を広げ、日に日に満開へ近づきつつありました。

赤坂家の菩提寺〈照蓮寺〉 竹原の観光名所でもあります
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る