【きょう12日アップ!】東スポWEB『平成球界裏面史』6

1990年4月4日、巨人軍激励会に出席する務台光雄・読売新聞代表取締役名誉会長(©東京スポーツ新聞社)

「これは巨人軍として、人間としてやらなければいかん。
それができないのなら、部数が100万部あっても、1000万部あっても、読売新聞は解散したほうがいい!」

平成2年(1990年)4月4日、ホテルニューオータニで行われた巨人軍激励会で、務台光雄・読売新聞社代表取締役名誉会長(故人・当時92歳)の怒声が響き渡った。
務台氏は新聞界で「販売の神様」と称され、現在の渡辺恒雄・読売新聞グループ本社取締役主筆以前に「読売のドン」と呼ばれた人物である。

この年の開幕前、巨人は桑田真澄・現巨人ファーム総監督にまつわる諸問題に揺れていた。
数億円規模の不動産ビジネスへの関与、反社会勢力の疑いがある人間との交際が発覚し、桑田は巨人から謹慎1カ月、罰金1000万円と、極めて厳しいペナルティーを受けた。

さらに、吉国一郎コミッショナーは、選手への教育や指導を怠った巨人にも責任があるとして、正力亨オーナーを戒告。
川島廣守・セ会長(現在は消滅)にも報酬月額10分の1を2カ月間減俸とする処分を下している。

巨人と桑田が一般社会からも批判を浴びている最中、親会社・読売新聞のトップは巨人軍激励会でどう釈明するのか。
興味津々で取材に訪れたわれわれ報道陣が控室で待機していると、最初に当時の副社長・渡辺氏が挨拶に立ち、一連の問題を報じたマスコミを批判し始めた。

この続きは東スポWEBで御一読ください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る