『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の大ヒット以降、ハリウッド超大作の定番企画と化した感のある音楽界のスーパースターの伝記映画。
ジュディ・ガーランドの生涯を描いた『ジュディ 虹の彼方に』(2019年)、エルトン・ジョンの半生をミュージカル化した『ロケットマン』(2020年)に続いて、さらなる大物エルヴィス・プレスリーの登場である。
今年の第95回アカデミー賞では作品賞、主演男優賞など8部門にノミネートされた。
ただ、確かによくできた映画ではあるものの、そこまでの高評価を得ていることに、個人的には少々驚きと違和感を禁じ得ませんでした。
プレスリーを演じるオースティン・バトラーは顔立ちが本人とよく似ていることに加え、歌いながら足腰をグラインドさせる独特の振り付けもそっくりに再現。
歌もエルヴィス本人の吹き替えだけに頼らず、ボイストレーニングを受けて自分で歌ったナンバーもあるそうで、インターナショナルホテルでのコンサートで汗びっしょりになって熱唱する場面が素晴らしい。
ただし、本作の実質的な主人公はトム・ハンクス扮するマネージャー、ナレーターと狂言回しも兼ねているトム・パーカー大佐のほうだろう。
冒頭、死を目前にしたパーカーがラスベガスのカジノを徘徊する場面から始まり、パーカーの口から語られるプレスリー像であることが強調されるので、最初は少々面食らった。
本作によると、プレスリーは母子家庭に育ち、貧乏だったために黒人居住区の中の白人専用住宅で暮らしていた。
小さいころ(チェイトン・ジェイ)の友だちは黒人ばかりで、彼らとともに教会に出入りし、ゴスペルやR&Bに親しむことによって後のロックンロールの下地が作られた。
この序盤では、シスター・ロゼッタ・サープ(ヨラ)の歌うゴスペルに魅せられ、音楽の聖霊がプレスリーに降臨したことを暗示する場面がよくできている。
プレスリーがデビュー当初、アメリカの保守層に弾圧された最大の理由も、実は差別的な白人層から「黒人のように尻を振る」ところが嫌われたからだった、ということをこれほどあからさまに描いた映画も初めてではないか。
ただし、パーカー大佐を演じるハンクスが前面に出過ぎているぶん、プレスリーの人物像がいまひとつ曖昧なままになっているという憾みも残る。
とくに、スーパースターとなったプレスリーが散財を繰り返し、麻薬に溺れるようになった原因など、もっと詳細に語るべき部分を、ハンクスのナレーションだけで済ませているのはいかにも食い足りない。
果たしてこれはプレスリーの映画だったのか、それともパーカー大佐の回顧録だったのか。
観終わったあと、どうにも嚥下し難い印象が残りました。
オススメ度B。
A=ぜひ!🤗 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑