【きょう28日アップ!】東スポWEB『赤ペン!!』444

かつて「不惑の大砲」と呼ばれた門田博光さんが、74歳で亡くなった。
突然の訃報に接し、私が真っ先に思い出したのは35年前、パ・リーグ3球団を巻き込み、連日報道合戦が繰り広げられた去就騒動である。

門田さんは南海時代の1988年、40本塁打を放ち、史上初めて40歳で本塁打王を獲得、打点王と合わせて2冠に輝き、MVPにも選ばれた。
その矢先、南海がダイエーに身売りし、大阪から福岡へ移転することが発覚する。

右アキレス腱に古傷を持ち、幼い子供が2人いた門田さんは福岡への〝単身赴任〟を拒否し、関西に本拠地を置く他球団への移籍を訴えた。
まだFA制度のない時代、杉浦監督は大功労者の希望に応えようとトレードの検討を始める。

すぐさま「門田は大阪の宝や」とラブコールを送ったのが近鉄の仰木監督。
当時、門田さんの自宅は近鉄沿線にあり、いつも奈良の学園前駅から難波駅の南海の本拠地・大阪球場に通っていた縁から、近鉄移籍は決定的と見られていたのだが。

この続きは東スポWEBで御一読ください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る