竹原の眼科医にて🎋🐇🏥👁

アニメ『たまゆら』(2011年)のワンシーンに使われた「町並み保存地区」の一角

きのうから広島県竹原市の実家に滞在中です。
これだけしょっちゅう帰っていると、もはや帰省ではなく、別宅に泊まっているような気分になってくる。

ただし、休養に来ているわけではなく、リモート取材と原稿執筆は継続中。
そうした中、今回帰ってきた最大の目的は、母親を眼科医に連れて行くことでした。

本当は去年のうちに目を診てもらい、そのまま実家で年を越そうと考えていたところ、母親がお世話になっている老健(老人保健施設)で新型コロナウイルスの陽性者が出てしまった。
幸い、母親は感染していなかったものの、濃厚接触者の疑いは残り、一定の隔離期間に入ったから、眼科医の受診は見送らざるを得ず。

施設のコロナ禍は年内に収束しましたが、その直後、眼科医も含めて、世の中は年末年始休暇に突入。
僕は仕方なく東京の自宅で年を越し、今になってやっと母親を眼科医に連れて行くことができた、というわけ。

しかし、この日谷眼科という病院で診察を受けるのがなかなか大変。
竹原市の眼科専門医はここしかなく、昔から通っている母親によれば「2時間待ちは当たり前じゃけんねえ」。

しかも予約制ではないため、少しでも早く受診するには、朝7時45分から始まる受付に駆けつけ、少しでも順番の早い札をもらい、診療が始まる9時までにまた出直すしかない。
で、今朝は実家の寝室で朝6時前に起床し、下着やタオルを洗濯機に入れ、朝食を作って平らげると、山とある燃えないゴミを収集所に出してから、自転車で10分の日谷眼科へ走り、7時50分に4番の受付票をゲット。

それから実家へ取って返し、洗濯物を干し終わった8時20分にタクシーがやってくると、これに乗って母親が待つ老健へ。
おかげさまで9時ちょうどに日谷眼科に到着し、手続き、検査、治療と思いのほかスムーズに進んで、10時までにすべての診察を完了することができました。

瞼の裏側の結膜結石(脂肪の塊)を先生に取ってもらっている時だけは、息子としてはちょっとドキドキしたけどね。
母親の背後から見ていた先生の治療は実に手際よく、スムーズに終了し、母親も「痛うも何ともなかったよ」。

その後、母親と一緒に実家へ帰って、かねて所望していた食べ物を出したら、巻き寿司、リンゴ、イチゴ、バナナ、ミカン、と食べること食べること、しゃべることしゃべること。
親戚中で評判だったこの明るさ、元気さが、正直、息子としては若いころうざったく感じられたこともあったけれど、きょうだけは心底うれしかった、ホッとしました。

遅めの昼ごはんは実家の近所〈こんちゃん〉のお好み焼き
昔はこれもお母さんが作ってくれてたんですけどね
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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