1992年から3年にわたって続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終盤、1995年7月にセルビア人のスルプスカ共和国軍が8000人以上のボシュニャク人(イスラム教徒)を虐殺した事件、「スレブレニツァの虐殺」を映画化した作品。
見応え十分の大変な力作だが、ボスニア紛争は日本人にとってあまり馴染みがなく、すでに30年前の出来事なので、正しく理解するには予習と復習が必要だろう。
ボスニア紛争はそもそも、1991年にクロアチアが旧ユーゴスラビア領からの独立を宣言し、クロアチア警察軍と旧ユーゴ連邦軍との間で発生した「クロアチア紛争」に起因する。
この武力衝突をきっかけに旧ユーゴの解体が進む中、ボシュニャク人とクロアチア人がボスニア・ヘルツェゴビナの独立に動くと、同国の人口の3割以上を占めるセルビア人が反発。
ボシュニャク人がイスラム教徒を意味する言葉であるのに対し、セルビア人はロシア正教の信者が多く、宗教対立が深刻化し、両民族は泥沼の紛争に突入する。
最終的にはNATOの介入によって停戦となる寸前、セルビア人はボシュニャク人が避難した国連平和維持軍の基地を包囲し、ボシュニャク人の一般市民を拉致して大量虐殺に及んだ。
平和ボケと言われるかもしれないけれど、日本人にとって理解しづらいのは、ボシュニャク人もセルビア人ももともとは同じ国に暮らし、同じ言語を話す民族同士なのに、どうしてここまで一般市民を巻き込んだ殺し合いをしなければならなかったのか、である。
本作の主人公アイダ・セルマナギッチ(ヤスナ・ジュリッチ)は国連軍の通訳を務めている高校教師のボシュニャク人だが、セルビア人兵士の中に自分の教え子や息子の友だちがいて、アイダの息子は元気か、などと聞く。
そうした知人、友人、隣人同士の間で戦闘が行われ、ボシュニャク人は国連軍の基地から200メートルしか離れていない学校の体育館で虐殺された。
そして、紛争が終わったら、かつて殺し合った者同士が同じスレブレニツァの町に戻り、血を流し合ったことなどなかったかのように日常生活を送ることになる。
こんなふうに平和に暮らせるのなら、最初からそうしていればよかったではないか、いったい、どうして紛争(というより事実上の戦争)などする必要があったのか。
ロシアとウクライナの間にも、いずれはこういう平和な時が戻ってくるのだろうかと、観終わってからもしばらくは嚥下し難い複雑な印象が残った。
オススメ度A。
A=ぜひ!🤗 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑