天安門事件からちょうど30年が経った2019年、NHKが事件の当事者たちにインタビューしたドキュメンタリー。
当時、天安門広場でデモに参加した学生、市民、犠牲になった彼らの親、さらに彼らに銃口を向けた人民解放軍の兵士たちにまでカメラを向け、貴重な証言を引き出している。
天安門広場における学生たちの大規模なデモはそもそも、鄧小平の独裁体制が続く中で、言論の自由化を推し進めていた胡耀邦が弾圧された挙げ句、死に至ったことがきっかけだった。
武漢でデモ隊と軍隊の衝突が起こるなど、民主化運動を進める学生や市民と公安当局との衝突が勃発した最中、中国共産党機関紙・人民日報が「デモは一部の黒幕が扇動している動乱である」との社説(四・二六社説)を掲載。
この陰謀論がデモ隊の怒りを煽り、天安門広場に50万人以上の国民が集まって、大規模なハンガーストライキが行われる事態に発展する。
胡耀邦亡き後、共産党における民主化推進運動の旗頭だった趙紫陽は「四・二六社説」の修正を訴えるが、当然のことながら鄧小平以下長老がにべもなく却下。
鄧小平に戒厳令を発令するよう求められた趙紫陽が拒否すると、鄧小平は趙を蚊帳の外に弾き出し、社説の修正に反対した李鵬に戒厳令の実施を任せる。
このドキュメンタリーによると、陰謀論に満ちた「四・二六社説」はそもそも、鄧小平の私見が色濃く反映されたものであり、事態が紛糾の極に達したこのころには、デモを「動乱」と呼び、国家的危機であることを声高に強調していたという。
一方、学生運動のリーダーで、現在はアメリカに亡命している王丹は、鄧小平がそこまで怒りと弾圧の意思を強めているとは、小指の先ほども想像していなかったらしい。
いくら対立が激化しても、人民解放軍が中国人民を殺傷することなどあり得ないだろうと、鄧小平ら共産党幹部にも一縷の良心が残っているものと信じていた、というのだ。
そして、1989年6月4日、軍隊によってデモに参加した学生や市民がどれほど血を流したのか、彼らが撮影し、保管していた当時の写真が画面に映される。
血まみれになった彼らの惨たらしい姿は、しかし、これでもまだ天安門事件のほんの一端しか伝えていない。
中国共産党は現在まで天安門事件を「解決済み」として詳細を明らかにしていない。
このドキュメンタリーが放送された2019年には、鄧小平に代わって最高権力者となった習近平が香港の民主化運動を弾圧に乗り出し、象徴的存在だった周庭を逮捕、中心的メディア・リンゴ日報を廃刊に追い込んでいる。
翻って現在、警察を使って陽性者を強制的に隔離していたゼロコロナ政策に失敗すると、習近平は昨年末の演説で「コロナに勝利した」と一方的な終息宣言を行い、手のひらを返したように行動制限を撤廃した。
かつて天安門で武力制圧を強行した共産党の傲慢な体質は、いまなお権力者に脈々と受け継がれているようだ。
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