父親の菜園🌳🌺🍊

父親が咲かせた最後の紫陽花

この紫陽花は竹原市の実家に帰省していた6月、朝散歩の画像としてSNSにアップしたもの。
父親が実家の菜園で栽培し、毎年きれいな花を咲かせようと、丁寧に剪定していた姿を思い出す。

それから約2カ月後の8月に父親が入院し、僕が9月に実家に帰ってきたときには、この紫陽花はもうかつての美しさと瑞々しさを失い、枯れかかっていた。
手入れする主を失った菜園は瞬く間に荒れ果て、地面には雑草が生い茂り、木々には蔓草が絡まって、そこに蜘蛛が巣を張っている。

9月13日に亡くなった父親とともに、父親が建てたこの家もまた、死にかけているように見えた。
しかし、父親が丹精込めて栽培していた木々や花々は、まだすべて枯れてしまったわけではない。

枯れかけているツツジにも花が

父親が手塩にかけて育てていたツツジは、枯れかけていながら、花を二輪ほど咲かせていた。
山茶花はもっとたくさん咲き誇り、バラの木にも枝の先に真っ赤な花が一輪。

柚の木には実が鈴鳴り

そのバラやツツジのそばでは、柚の木がまた多くの実をつけている。
ただ、そうした木々の足元の雑草は、僕が何とかしなければと思いながら、帰省中はなかなか時間が取れず、伸び放題のままになっていた。

だから今回は、実家に滞在している間、しっかり草むしりと庭木の剪定をしようと決めていた。
何よりも、家族の様々な思い出が詰まった実家が、空き家のまま廃屋と化していくことが耐えられなかったから。

何度か庭の手入れをして、すっかりきれいになったとまではとても言えないけれど、人間が世話をしている菜園としての体裁は取り戻せたように思う。
ただ、いつまでこういう実家の手入れが続けられるか、僕自身にもわからない。

そんなことを考えていたきょうの午後、日本テレビ『ミヤネ屋』で「実家じまい」の特集をやっていた。
自分もいずれはそういう準備をしなければいけないのだろうが、でもその前にもう少し家の外も中もきれいにしておきたい、そうしないとお父さんに申し訳ないから、と思いました。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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