前項『イギリスから来た男』(1999年)にバリー・ニューマンが脇役で出ていたのを観て、ふと思い出したアメリカン・ニューシネマの埋もれた名作。
初見は中学か高校のころに観た地上波テレビの日本語吹替版で、レストアされたバージョンを観ようと探していたブルーレイは出たと思ったらすぐ絶版になってしまった。
隠れたファンの多いカルト作品と化していたためか、このブルーレイ版は中古品が一時最高2万円台まで高騰。
長らく再販を待っていたところ、2017年7月になって1905円(税抜、Amazon価格は新品1020円)の廉価版が発売され、すぐさま取り寄せてじっくりと鑑賞した。
開巻のタイトルバック、カリフォルニアの片田舎の街並み、その住人や警官の姿が映し出され、その合間に白いダッジ70年型HEMI・チャレンジャーが猛スピードで大平原の一本道を疾走する場面が挟まる。
ダッジを運転する男(バリー・ニューマン)が警察に追われており、警察との最後の対決が迫っていることを暗示すると、映画はいったん過去に遡る。
男は自動車の陸送を請け負っているプロのドライバーで、コロラド州デンバーからカリフォルニア州サンフランシスコまでダッジを送り届けている最中だった。
2日前の夜、デンバーのカー・デリバリー会社へ別の車を運転して送り届け、体調を気遣う友人サンディ(カール・スウェンソン)に一晩泊まっていくように勧められながら、すぐさまダッジに乗り込んでシスコに向かったのだ。
途中でヒッピーたちがたむろするバーに寄り、知り合いの売人から覚醒剤の錠剤スピードを買ってハイな気分になると、12時間でシスコまで行けるかどうかを売人と賭け、一路シスコへ向かってダッジを飛ばす。
ハイウェイ・パトロールの白バイに追いかけられ、スピード違反で車を停めるよう警告されてもひるまず、白バイも応援のパトカーも振り切ってひたすら爆走を続ける。
躍起になって追い続ける警察の調査、男の脳裏に何度もフラッシュバックする場面の数々によって、次第に男の過去と正体が明らかになってくる。
姓はコワルスキー、名は不明、かつてはベトナム戦争で戦功を上げ、名誉勲章を受けた元帰還兵。
帰国後はサンディエゴで警官になりながら、容疑者の少女を暴行しようとした上司を殴って退職、その後はプロのレーサーに転身するが、事故を起こしてリタイヤ。
サーファーだった恋人を海難事故で亡くしており、どうやら家族や身寄りはいないらしい。
警察の追っ手を振り切ってコロラドからネヴァダへ、さらにカリフォルニアへと州をまたいで走り続けるコワルスキーを、ミニFMのDJスーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)が自分の番組で声高く称賛する。
「コワルスキーがやっているのは自由への疾走だ! 権力への反乱だ!」と。
ただし、コワルスキー自身は暴走する理由を一言も語らず、取り立ててアウトローぶっているわけでもない。
通りすがりに知り合ったバイカーのエンジェル(ティモシー・スコット)や蛇狩りの老人(ディーン・ジャガー)にはむしろ気さくで優しい一面を見せる。
とりわけ印象的なのは、素っ裸でバイクを乗り回しているエンジェルの恋人(ギルダ・テクスター)。
権威への反抗や既成の価値観を否定する表現行為の一環として裸を見せるヌーディストもいるが、そういう主義主張は何もなく、サボテンの生い茂る砂漠に突然現れる彼女の姿は鮮烈で、色気を感じさせながらもまるでいやらしくない。
映画史に残るラスト、コワルスキーはただ淡々と、笑みさえ浮かべてダッジのアクセルを踏み込む。
警察がブルドーザー2台で封鎖した道路上のバニシング・ポイント(消失点)に向かって。
コワルスキーは何を考えていたのか。
特典映像『メイキング・オブ・「バニシング・ポイント」~当時を振り返って』で、監督のリチャード・C・サラフィアン、コワルスキーを演じたバリー・ニューマンがそれぞれの見解を語っている。
観た人それぞれの解釈に任せればいい、というのがぼくの受け止め方。
なお、サラフィアンは当初、まったく違うエンディングを考えていたところ、20世紀FOXのプロデューサー、リチャード・D・ザナックの鶴の一声で現行の幕切れに決まったのだと、サラフィアン自身が証言している。
オススメ度A。
旧サイト:2017年11月17日(金)付Pick-up記事を再録、修正
A=ぜひ!🤗 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑