竹灯りの夜、四十九日の朝

照蓮寺の石段を上る両親(2015年頃の暮れ)

この画像は2015年頃の暮れ、広島県竹原市の実家に帰省した折、両親と墓参りに出かけた時にスマホで撮影したものです。
先祖代々からのお付き合いが続いている菩提寺の照蓮寺は、〈たけはら町並み保存地区〉の中にあり、観光名所のひとつでもある。

当時、まだしっかりした足取りで石段を上っていた父親は、以前もここに書いた通り、9月13日に88歳で永眠。
葬儀を終えたあと、骨壷を照蓮寺で預かっていただき、ちょうど49日目の先月31日、四十九日法要をすることに決めました。

その準備のため、前夜の30日に照蓮寺を訪ねたら、3年ぶりに『町並み竹灯り~たけはら憧憬の路~』が行われていた。
町並み保存地区に竹のアート作品を並べて、暖かな色合いでライトアップするイベントです。

今月31日の照蓮寺の正門

こうして見ると、子供の頃から長年、盆暮にお墓参りに通っていたお寺が別世界のよう。
インスタ映えする画像がたくさん撮れるとあって、大勢の観光客がスマホやデジカメを手に散策していました。

ふだんは参拝者が車や自転車を停めている照蓮寺の石段の手前
暗めの画像ですが、実際に見ると美しかった
家族連れやカップルの記念撮影スポット

こういう空間に身を置いていると、ハロウィーンにまつわる韓国の事件、渋谷の喧騒がすごく遠くに感じられる。
と言いながら、夜6時半までには実家に帰り、日本シリーズ第7戦は50インチ4Kテレビでしっかり観戦しましたが。

翌31日は好天に恵まれ、明け方こそ最低気温8℃と肌寒かったけれど、法要の始まった午前11時前は暑かったぐらい。
しかし、喪服に身を包んだ83歳の母親は、ニコニコしながら、どこかしみじみと曰く「ええ天気でえかったねえ」。

そう言えば、告別式の9月15日も快晴で、最高気温は30℃超に達していた。
お父さんは晴れ男だったのかな。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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