今回は、今季限りで現役を引退する阪神の〝超人〟糸井嘉男についての思い出話です。
糸井は、上の本棚画像の右から8冊目、拙著『プロ野球コンバート論』(2013年/PHP)の重要な登場人物のひとり。
もともとは、2003年秋のドラフトで、近畿大のエース投手として日本ハムに逆指名入団。
しかし、それから2年間、二軍ですらしばしば滅多打ちに遭い、野手に転向して大ブレークした、という経緯はファンにはよく知られている。
僕は2012年のシーズンオフ、当時の広報担当の尽力により、書籍では珍しかった(?)糸井のロングインタビューに成功。
鎌ヶ谷の勇翔寮のロビーで当時の苦労話を聞いていると、糸井がこんなことを言い出したんですよ。
「僕、サッカーをやろうと思った時期もあったんですよ、マジで。
野球は小学5年から本格的に始めたんですが、小学6年になった年(1993年)にJリーグが始まったでしょう。
アレで、一緒に野球をやってた友だちがみんなサッカーに流れて、僕もそっちに引き込まれたんです」
当時から、かけっこでは常に一番。
身体能力がずば抜けていた糸井は、またたく間に仲間内でエースストライカーになった。
「相手をかわして、シュートを打って、ゴールを決めるじゃないですか。
それが快感でしたねえ」
野球はもともと、父親に教えられて始めたものだった。
が、それに引き換え、サッカーは友だち同士での盛り上がりがきっかけである。
すっかり夢中になった糸井は、「中学行ったらサッカーやるわ」と、勢い込んで父親に言ったんですが…、
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