飯塚事件が発生した1992年2月20日、僕は日刊ゲンダイのプロ野球担当記者としてキャンプ取材をしていた最中で、この事件についてはまったく記憶していない。
この日朝、福岡県飯塚市で通学中の小学1年生の女児ふたりが行方不明となり、翌日昼に約30キロ離れた朝倉市八丁峠の山中で死体となって発見された。
福岡県警捜査一課の捜査本部は早くから被害者と同じ校区に住む久間三千年の存在に着目し、身辺調査と証拠固めを開始。
犯行当時、久間の車と同じダブルタイヤのマツダボンゴ車を見たという目撃証言、死体遺棄現場の血液と久間に提出させた頭髪のDNA型が鑑定で一致したとして、1994年9月23日、死体遺棄容疑で逮捕した。
当時56歳だった久間は、程なくして女児に対する殺人、略取誘拐で再逮捕、追起訴されたが、一貫して犯行を否認。
犯行動機も具体的な手口も久間の口からは何ら明らかにされないまま、一審、控訴審でも有罪判決が下り、2006年10月8日付で検察側の求刑通り、死刑判決が確定する。
そして、2年後の2008年10月24日、福岡拘置所で久間の死刑が執行された(享年70歳)。
本作に登場する主任弁護人・岩田務によれば、久間は最後まで「私はやってない」「無実だ」と主張し続けており、死刑を執行するとの連絡を受けた時、岩田はその場にしゃがみ込むほどのショックを受けたという。
事件発生から今年でちょうど30周年、果たして本当に久間は真犯人だったのか、冤罪だった可能性はないのか、NHKが当時の捜査関係者、マスコミ関係者、久間の妻や弁護士にインタビューを重ね、ニュース映像も駆使し、改めて検証したのがこの番組である。
第1部「逮捕」、第2部「裁判」、第3部「検証」の3部構成で、1部50分、計150分は最近のテレビドキュメンタリーとしては他に例を見ないボリュームだ。
当時の警察関係者は当然、久間が真犯人であり、裁判所は正しい判決を下したと、いまも確信に満ちた口調で強調しているが、引っかかるのはやはり、物的証拠の弱さである。
DNA型鑑定は現在よりもまだ精度が低く、八丁堀峠の目撃証言も10秒程度で、のちに久間のボンゴ車から発見された血痕、女児の下着に付いていたという久間のシートの繊維なども、確定的な物証とまでは言い難い。
実際、当時の捜査関係者は西日本新聞の元事件担当サブキャップ・傍示(かたみ)文昭の取材に、「一つ一つの証拠は極めて弱いが、四つ揃ったから」などと話していたという。
一方で、DNA型鑑定で久間と合致するものは検出されなかったとする帝京大学医学部の見解に、福岡県警の元捜査一課長・山方泰輔は「DNAが合わなかったのではなく、警察が提供した試料が少な過ぎて〝合わせられなかった〟のではないか」と強弁し、「これでいけると確信した」と主張している。
もっと首を捻りたくなったのは、久間の取調の過程で、福岡県警が1988年の別の女児失踪事件(「愛子ちゃん事件」)も久間の犯行だと断定したことである。
この事件について久間を追及したところ、ポリグラフ(嘘発見機)が示した反応から、久間が女児の死体を遺棄した場所を筑豊地区と特定して捜索したら、僅か25分で女児が失踪当時に着ていた衣服が発見された。
久間の逮捕までに数々のスクープ記事をものにしてきた元西日本新聞記者・宮崎昌治は、その衣服の状態に疑念を抱く。
「失踪してから5年も6年も風雨に晒されていたような状態ではなかった、なんで今ごろそんなものが出てくるのか」と。
山方が飯塚警察署に久間の妻を呼び出し、発見された衣服を彼女に見せたところ、「やっぱりお父さんやったんですか」ともらした、と山方は言っている。
ところが、妻のほうははっきりと、衣服は見ていない、衣服が見つかったかどうかも警察からは聞いていない、と証言。
妻の口調からして、彼女が嘘をついているとか、認知症を患っているとは考えにくく、彼女の言い分が正しければ、山方はNHKのインタビューにでっちあげを語ったことになる。
また、元記者・宮崎は「警察が衣服を発見場所に置いたのか」という質問に対して、「わかりませんよ、それは。そんなことはしないと信じていますけども」と曖昧な答え方をしている。
警察が証拠を捏造したのではないか、という疑惑は、嫌でも1966年の袴田事件を思い起こさせる。
袴田巌は死刑執行を停止されて一命を取り留めたけれど、久間は無実を訴えながら死刑にされたぶん、捏造が事実なら極めて非道な行為だと感じざるを得ない。
2009年10月、主任弁護人・岩田務、共同代表・徳田靖之を中心とする弁護団は再審請求を開始するが、検察側の壁に阻まれてなかなか新たな証拠を入手することができない。
弁護団が再調査を尽くし、科警研がDNA型鑑定で証拠を捏造したと見られる写真を入手しても、八丁峠での目撃証言が警察の誤誘導によるものだと指摘しても、山方は「弁護士は証拠を作るから」と笑みを浮かべながら感想を漏らしている。
そして、2014年3月、再診請求は棄却された。
この認定に衝撃を受けた西日本新聞の元事件担当サブキャップ・傍示は、ひょっとしたら冤罪だったのではないかと、自身の胸で膨らみ続ける疑念を抑えきれなくなり、2017年に編集局長に就任すると、この飯塚事件を検証する調査報道に取り組もう、という決意を固める。
これは西日本新聞社にとっても、傍示本人にとっても、久間の逮捕をスクープし、傍示の下で社会部長に就任した宮崎にとっても、非常に重く、大きな決断だった。
編集委員・中嶋邦之、記者・中原興平による連載記事は2年、83回に及び、2019年6月にいったん終了している。
福岡県警捜査一課の元特捜班員・小山勝は、久間が真犯人だとする最大の心証は何かと聞かれ、「その後、この手の事件が起こってないじゃないか」と笑いながら答えている。
もはや、当時の捜査関係者にとって、飯塚事件は終わったことでしかない、あるいは終わったことにしてしまいたいのだろう。
久間の妻は「警察の本当の正義の声がほしい」と話している。
2021年7月、弁護団は第2次再審請求を申し立てているが、彼らに裁判所や警察から「正義の声」は届くのか。
オススメ度A。
※この事件に興味のある方はFBS福岡放送『”無実”にどう向き合ったか〜検証 飯塚事件30年』(3月27日午前01:00放送、26分)も併せてご覧ください。