きょう2ホーマー、長野さんのカメラ目線📷😳⚾️

試合前の練習中、長野さんにスマホを向けたらご覧の表情

のっけから愚痴を並べるようで申し訳ないが、今年はとにかくろくなことがない。
何とか気を取り直して頑張ろう、と思うたびに、新たな不測の事態や気分の凹むようなトラブルに見舞われている。

これまでの人生で一番辛い思いをしたのは、42歳の厄年だった2005年。
このときは精神的、経済的に相当な打撃を受け、古巣の日刊現代に入社して以来、初めて長期の有給休暇を取って療養に専念したが、結局その翌年に退職することになった。

今年の落ち込みようやツキの無さは、さすがにそこまで酷くはないけれど、当時42歳とまだしも若かった自分もすでに59歳。
これ以上、何か良くないことが起こりませんように、と祈るばかりのきょうこの頃なのです。

そうした中、昨夜は高田馬場で若きドキュメンタリー映画監督とその友人に会った。
30歳も年下の監督はいま、僕も知っている元プロ野球選手の生涯を映画化しようとしており、制作過程の現状を、熱く、明るく、情熱を込めて語ってくれた。

スポーツライターという仕事にいい面があるとすれば、こういう若い人の話を聞くことができること、そういう場を持てるつながりに恵まれていることかもしれない。
おかげで少しは前向きな気分になり、一夜明けた今朝、映画監督に韓国土産としてもらったマスクを着け、東京ドームに向かった。

試合前の15時45分頃、カープの打撃練習中、グラウンドに長野久義の姿を見つけて、スタンドからフェンスの編み目越しにスマホで狙った。
僕の視線を感じたのかどうか、突然長野さんが振り返ったので、僕がスマホを下ろすと、長野さんはにっこり笑って手を振ってくれた。

その長野さんは、この日の試合に6番・左翼でスタメン出場し、二回の第1打席で先制の1号ソロ本塁打、続く三回には2号満塁弾と、2打席連続ホームラン。
頑張ってるなあ、と思った。

長野さんは相変わらず、ヒーローインタビューでも淡々としたもの。
とくに晴れがましい表情を見せるでもなく、「まず勝てたことがよかったです」と切り出し、2ホーマーの感触を聞かれても、「感触はあんまり覚えてないんですけど、フェンスを越えてくれてよかったです」。

一軍昇格前の二軍暮らしについては、「若い選手と一緒に泥んこになりながら、どんどん走ってバットを振って、帰ってきました」。
最後は自分の活躍でカープが勝ち、巨人を抜いて単独2位に浮上したことを振られて、「順位は気にしないで、目の前の1試合、1試合全力で頑張っていきたいと思います」と、穏やかな口調で締めていた。

2年続けて他球団のドラフト指名を拒否してまで2010年に入団した巨人から、2019年にFA移籍した丸佳浩の人的補償という形でカープへ移籍し、すでに4年目。
37歳となり、年々出場機会が減って、同じ外野手の秋山翔吾の加入により、ますます厳しい立場に追い込まれている中、こうして数少ないチャンスで存在感を発揮している。

19年、巨人がプロテクト枠から外し、カープが獲得を検討した選手は、他にも2人いたと聞いた。
その選手たちはすでに引退して指導者となっており、長野さんには彼らのぶんまで、1年でも長く現役を続けてほしいと思います。

試合前、スポーツライターの土肥さん(右)、その同級生の方と記念撮影

ところで、試合前には、たまたま同じ日に観戦に来ていたスポーツライター仲間の土肥志穂さんと同級生のお友達が記者席に来訪。
お二方とも僕と同じ広島出身なので、カープが勝ったこの日はさぞかしいい休日になったことでしょう。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る