猛暑🥵の中、神宮⚾️で考えた取材のニュースタイル🕶🌂🩳

午後3時10分頃、閑散とした神宮のグラウンド

ゆうべは就寝が午前2時過ぎだったため、習慣にしている朝散歩が10時半ごろになった。
この時、拙宅周辺の外気温は35.9℃という暑さで、日傘を差していても肌に痛みを感じ、一瞬立ち眩みを起こしかけたほど。

天気予報では予想最高気温がきのうを上回る37℃に達するとも伝えられていたし、正直、きょうはかねて予定していた神宮での取材はやめようかとも考えました。
が、こういう日に神宮のような屋外球場へ取材に行ったら、何か珍しい出来事があるかもしれないぞと、妙な想像力が働いてしまうのがA先生の悪いクセ。

きょうじゅうに書いておきたい原稿を神宮の記者席で書けば、留守にする自宅の電気代を節約することもできる。
という貧乏性も頭をもたげて、結局、午後3時前に神宮へ。

ヤクルトの練習は守備とティー打撃だけ

しかし、汗を拭き拭き神宮まで来てみたら、きのうのハマスタと同様、グラウンド上は閑散。
ヤクルトの練習はノックと若手のティー打撃だけで、フリー打撃をしていないのもきのうのDeNAと一緒である。

DeNAのティー打撃練習、手前は嶺井、その後ろはソト、石井野手総合コーチ、森

一方、ビジターのDeNAは打撃ケージを1台借り、きのう阪神がハマスタでやっていたのと同じような短めの打撃練習。
“猛暑期間中”は熱中症予防のため、試合前の練習はこういう“時短スタイル”でやろう、という申し合わせでも各球団間で交わされてるんでしょうか(確認はしてません)。

例によってネット裏から声をかけた野手総合コーチの石井琢朗さんは元気そうでしたが、巡回打撃コーチの田代富雄さんの姿が見えず、ベンチ入りもしていなかったのはちょっと気がかり。
楽天、巨人二軍でコーチをしていたころから、ビジターの試合を“欠席”することは珍しくなかったから、何の問題もないとは思いますが。

そんなふうに選手が時短、コーチが休養を取っているのなら、スタンド取材を強いられている記者にも認めてもらいたいことがある。
日傘、サングラス、それにできれば半パン、ヒールストラップ付きサンダルでの取材。

実際、半パンやストラップ付きサンダルは、メジャーリーグでは随分前から夏場の取材スタイルとして定番化している。
僕も経験したテキサス、話に聞いたアリゾナの暑さは大変なもので、メジャーではSFジャイアンツのGMなどもサングラス、半パン、サンダルで球場に来ていた(それもまだ今ほどの猛暑ではなかった20年も前の話)。

日本でもアメリカ人記者は夏になったら堂々とアメリカスタイルで取材していたものである。
ただ、それもコロナ前のことで、最近は球場ですっかり姿を見かけなくなっているから、いまでもアメリカ人だけのスタンダードとして定着している、と言えるかどうかはわかりませんけどね。

さて、ヤクルトにとって史上最速の優勝マジックナンバー点灯がかかっていたきょうの試合、これまたきのうと同様、序盤から点の取り合いとなった。
二回までにDeNAが3点取れば、ヤクルトも三回までに3点取って追いつき、DeNAが2点取って勝ち越すと、ヤクルトも1点を追加して1点差に追い上げる。

しかし、最後は九回にヤクルト・オスナの野選で1点を追加したDeNAが逃げ切り、ヤクルトのマジック点灯を阻止。
DeNAは石井野手総合コーチが復帰して以来、これで4連勝と調子がいい。

きょうは、その石井コーチがキャンプからマンツーマンで指導しているソトが1本塁打を含む2安打3打点と活躍。
ソトもヒーローインタビューで「今はチームが調子いいので、明日もガンバリマス(ここだけ日本語)」と力強く語っていました(きょうの一塁守備で痛めた右足がちょっと心配ですが)。

明日も神宮に来ようかな?
でも、やっぱり暑いだろうなあ。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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