先に読んだ黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(2002年/中公新書)には、1991年のウクライナ独立に至る経緯が詳しく描かれていた。
その独立から今日までの30年間、ウクライナに何が起こり、そこに暮らす市民たちがどのような状況に置かれているかをわかりやすくまとめているのがこのドキュメンタリーである。
番組のホストを務めるのは、16歳まで日本で暮らし、現在は首都キーウから発信を続けているウクライナ人のボグダン・パルホメンコ氏(35)。
彼が自分の祖父で旧ソ連時代にウクライナの教育大臣、国立大学の総長を務めたウラジミール・パルホメンコ氏(88)と対話をしながら、独立後の30年間を振り返る。
一見して、これが独立後最初の失敗だったのかと思わせたのが、ウクライナが核兵器を放棄した1994年の「ブダペスト覚書」である。
旧ソ連時代、ウクライナには核ミサイル1400発が配備されていて、独立後も意図せずしてアメリカ、ロシアに次ぐ世界第3位の核保有国となってしまい、西側諸国にもロシアにも戦略上の脅威と受け止められたことから、アメリカのベーカー国務長官がロシアのエリツィン大統領に「核兵器はロシアが管理するべき」だと進言。
こうして、ウクライナが核兵器を放棄する代わり、米英露がウクライナの安全を「保証」するという「ブダペスト覚書」が4カ国の最高責任者の間で交わされた。
この様子を伝えるニュースの国際映像のカメラが、左から順にロシアのエリツィン大統領、アメリカのクリントン大統領をクローズアップすると、ウクライナのクチマ大統領を素通りし、イギリスのメージャー首相へ移っていくところに、当時のウクライナが国際社会でいかに疎んじられていたかが如実に表れている、と本作は指摘する。
しかも、「ブダペスト覚書」は、アメリカがウクライナの安全上の危機に際し、軍事力を提供するものではなかった。
ウクライナ側は当初、直接的な軍事介入の可能な「保障」(guarantee)を求めたが、NATO加盟国ではないウクライナにそこまでの約束はできないとして、国際社会における肩入れを意味する「保証」(assurance)をするにとどまったのだ。
これが現在、ロシアのウクライナ侵攻に対するアメリカの煮え切らない態度につながっているらしい。
一方で、2004年にはバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)をはじめスロべキア、スロベニア、ルーマニア、ブルガリアなど大量7カ国がNATOに加盟し、ここにアメリカが核ミサイルを配備しようと計画。
同じ2004年、市民の間からロシア支配からの脱却と民主化を求めるオレンジ革命が巻き起こり、大統領選のやり直しが行われて、新ロシア派のヤヌコービッチが失脚し、新ヨーロッパ派のユーシェンコが大統領になる。
キーウでこの運動の渦中にあったというボグダン・パルホメンコ氏の「オレンジ革命は日本の70年代の学生運動によく似ていて、何か運動に影響された動きが起こるたびに、Yes! みたいな感じで盛り上がっていった」という実感のこもったコメントが印象的だ。
そうしたウクライナ内部の民主化運動、NATOの東方拡大政策を脅威と捉えたロシアのプーチン大統領が、西側諸国への猜疑心とウクライナへの敵意を膨らませていった、という過程も納得できるように描かれている。
マリウポリを陥落させたバカリというロシアは容易には引かないだろうが、東部戦線で優勢に立ったというウクライナも延々と抵抗を続けることだろう。
オススメ度A。