懐かしの呉線

広島駅のプラットホームで久々に見た呉線の車両

やんごとなき事情により、きのう、きょうと1泊2日で広島へ帰ってきた。
土砂降りの中を帰宅したいま、忘れないうちにと思い、このBlogを書いている。

何があったかは、極めてプライベートなことなので、詳細は控える。
以下の文面はあくまでも備忘録として記すものであり、SNSにもアップしない。

急変の知らせがあったのは、今週日曜の昼間。
幸いにもすぐさま駆けつけなければならないほどの事態ではなく、火、水と神宮球場でオープン戦取材、水曜は試合前にインタビュー取材が入っていたため、木曜に帰省することに。

今回は目的地が呉市内だったので、飛行機ではなく、広島から在来線への乗り継ぎが便利な新幹線を利用。
木曜の朝5時過ぎに起床し、しっかり朝ごはんを作って食べて、7時42分東京発ののぞみ81号で広島へ。

車中、コラム原稿を1本、コメント原稿を1本執筆。
新幹線の車内でもFree Wi-Fiが使えるようになったことを初めて知り、しょっちゅう切断するのにはイライラしたが、それでも結構役に立った。

広島駅到着後、呉線のプラットホームに行き、昔とはデザインが一新された赤い車両にビックリ!
僕は1981年の高校卒業後に浪人して、広島駅前の予備校・河合塾へ通っていた1年間、この呉線を利用していたのだが、当時は湘南線のようなグリーンとオレンジのツートンカラーだったから。

安浦近辺の車窓から見える牡蠣の養殖場

広島駅から目的地の新広駅までは、快速〈安芸路ライナー〉で40分。
その間、停車する各駅周辺の眺めが様変わりしていることに驚いたり、瀬戸内海に昔と同じ牡蠣の養殖場が広がっている光景に懐かしさを覚えたり。

父親が中国電力に勤めていた関係で、10代の頃までは安芸津、広島、安芸阿賀の社宅に住み、僕が就職してからは尾道の社宅が帰省先だった時期を経て、現在の実家は竹原の一軒家。
久しぶりに海沿いを走る在来線の呉線に乗り、改めて自分の根っ子が形作られた風景を眺めながら、新広に向かった。

幼稚園、小学1年生初期を過ごした安芸津の駅

ちなみに、安芸津と竹原の間にある吉名(よしな)は、池田勇人首相の生家の造り酒屋があったことで知られている。
ただ、昔は「し」にアクセントがあったのが、車内アナウンスでは「よ」にアクセントが置かれていた。

どっちが正しいのかなあ。
呉も、広島と呉のネイティブでは「く」と「れ」のアクセントの置き方が違っていると、映画『この世界の片隅に』(2016年)でしっかり表現されていたことを思い出す。

とりあえず、今回、僕がやるべきことは大体、果たせたと思う。
ただ、これで終わりではない、ということも、もちろん自覚している。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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