50代最後の一年が始まった日、海の向こうで戦争が始まった

好天に恵まれた神楽坂の朝

きょうはわが人生で59回目の誕生日。
いまだに迎える覚悟のできていない還暦まで、ついにあと一年を切りました。

55歳まではそうでもなかったけれど、その2018年以降は年齢を重ねるたびに人生の終焉が近づいているような気がして、誕生日にBlogを更新することを避けていた。
毎年お祝いのメッセージに返信することも億劫になり、Facebookからも誕生日のデータを削除している。

あれもしたい、これもやりたいと思いながら、仕事上の目標のいくつかは実現させてきた半面、思うに任せない人生上の課題も残したまま、59歳を迎えた。
もう59歳、とはいえ、まだ59歳、とも言えるこの一年を、俺はどう生きるべきなのか。

そんなことを考えながら外出しようとしていたきょうの正午(日本時間)、ロシアのプーチン大統領が「自衛のため」にウクライナ東部に対する軍事作戦を決断した、とAP通信が報道。
このとき、2日前にメインバンクの担当者が突然かけてきた電話の内容を思い出した。

私にも一応、ささやかな資産があり、その一部を銀行の勧める運用に回していて、最近は若干のプラス傾向で推移していた。
が、担当者によると、ウクライナ情勢の緊迫度が増すにつれ、5%程度のマイナスに転じている、という。

これからロシア、ウクライナ両国が本格的な戦争状態に突入すれば、何よりも重視されなければならないのは、もちろん犠牲となる市民の安否である。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻が株式市場に与えたショックにより、私や私よりも甚大な経済的被害を受けた人たちが世界中にいる、ということもまた確か。

もっとも、Blogを書いているいまだからそういうことが冷静に考えられるのであって、昼間に仕事をしている最中はウクライナ情勢について考えているどころじゃなかった。
きょうは某出版社で、ヤクルトOBへのインタビューが午後1時、3時半からと2本立て続けに入っていたから。

その2本目の取材対象、川崎憲次郎さんはインスタグラムにインタビュー画像をアップしているので、よかったらチェックしてみてください。
59歳でこういう仕事をしていて、改めてしみじみ感じるのは、自分が20〜30代だった1990〜2000年代、スポーツの現場で知り合った人たちの優しさや温かさです。

あの巨人キラーとして名を馳せた川崎さんも、もう51歳。
同時代にグラウンドで取材した59歳のライターとして、ちゃんと読み応えのある原稿しなければ、と思いました。

いや、ちゃんとした原稿なら、いつも書いてはいるんですよ。
ただ、きょうは僕の誕生日だったから、そう強調しておきたかったということで。

それにしても、ウクライナはこれからどうなるんだろう。
早く平和が戻ってくることを祈るばかりです。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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