飯能はきょうも路面良好😄、冷え込み強烈🥶

今朝8時46分池袋駅発、西武池袋線急行飯能行

飯能へ行くとき、いつもは大体、西武線池袋駅午前9時発の急行飯能行に乗るのだが、きょうは洗濯など朝の雑用が思いのほか早く片付き、ギリギリで2便早い8時46分発の急行に乗ることができた。
ドアが閉まった途端、上の画像をSNSに上げたら、早速フォロワーや友達からチラホラとリプが舞い込み、「お気をつけて」という言葉に添えられていたのが、「ついはんのう(反応)してしまいました」というダジャレ。

そこで、ツイッターを始めたばかりのころ、突然僕をフォローしてきた〈飯能bot〉というアカウントを突然思い出した。
僕が飯能についてのつぶやきを投稿するたび、いちいち「すぐ飯能(反応)」「すぐ飯能」とリプを寄越してきたんだよね。

「あんたは誰?」と聞き返しても「すぐ飯能」、「俺の知ってる人?」にも「すぐ飯能」、「他に言うことはないのか」とツッコミを入れても「すぐ飯能」、しまいに「不気味だな、ブロックしたほうがいいかな」と返したら「褒め言葉?」。
いまではまったく見かけなくなった〈飯能bot〉、果たして正体は何者だったのか(どうでもいいけど)。

右回りループの序盤、このルートを真っ直ぐ上ると富士山の見えるポイントに出るそうです

きょうの路面は先週同様、右回り、左回りともに良好。
左回りのごく一部にトライアルバイクが掘り返した大きな轍があったものの、概ね心地よく走ることができました。

この季節、乾燥度の高い日々が続いているおかげですが、そのぶん、肌を刺す寒さが年寄りの身体には非常にこたえる。
きょうの午前中、飯能の気温は4〜7℃だったとはいえ、陽射しが遮られる里山の中では体感温度が1〜2℃低い。

右回りの上りで身体を温めても、息を切らして小休止していたら、汗をかいているぶん、たちまち身体が冷えてしまう。
だから大急ぎでいつものホームコースを走り切りたいんだけど、ここで焦って転倒し、11年前のように多発骨折(鎖骨1、肋骨5)でもして、来月に迫っているキャンプ取材に行けなくなったら元も子もない。

ト、単に子供のように山を走り回っているようで、ココロのアクセルとブレーキを交互に踏みながら、いかにして速く、効率良く前に進むかを考える。
そういうメンタルの強化トレーニングにもなっているのですよ、A先生にとってのマウンテンバイクは。

〈祥龍房〉西武線飯能駅北口店の広東麺860円

こういう寒い日の下山後はあったかいものを食べるに限ると、下山後のランチは〈祥龍房〉の広東麺をハフハフしながら食し、そこそこ満足。
ところが、腹を満たして店を出た午後1時半過ぎ、空は雲に覆われ、風も強まり、飯能駅の北口で愛車を輪行袋に収納している間がまた寒くて寒くて、何だか惨めな気分になっちゃった。

でも、いつもよりタイムスケジュールが30〜40分早かったぶん、まだ陽の高い午後3時過ぎに自宅最寄駅の江戸川橋に到着。
ここで輪行袋から自転車を出して組み立てる間、ほとんど寒さを感じなかったところに、東京と飯能の(実際の意味での)温度差を感じましたね。

帰宅後、きょう3回目のワクチン接種を受けた親父の様子を聞こうと、広島県竹原市の実家に電話。
そうしたら、おふくろが出てきて、「注射は4時半からなんよ。そのあとに休憩時間もある。お父さんが戻ってきても、きょうは(副反応などで)イライラしとるかもしれんけえ、明日電話しんさい」。

そんな会話の最中、おふくろの声の背後から、料理の出来上がりを知らせるシステムキッチンのアナウンスが聞こえてきた。
「いま南京(かぼちゃの煮物)を作りょうるけえ」と言われて、ああ、おふくろの南京が食べたいなあ、と思いました、正月に散々食わされて、ちょっぴりうんざりしていたばかりなのに😓

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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