本作を制作し、ナレーターも務めている井上春生は、アフガニスタンの映画人、活動家、ジャーナリストと交流を持ち、長年、同国の映画の日本公開に尽力してきた映画監督である。
本業のCMやミュージックビデオの制作の傍ら、自らも同国を訪れて、2001年のタリバン政権崩壊以降、抑圧された環境を脱し、社会進出を続ける女性や若者たちの姿を撮影してきた。
その一部は本作でも紹介されており、アフガニスタンの人々が生き生きとした表情で井上のカメラに収まっている。
井上がそうした活動を始めたきっかけは、2003年カンヌ国際映画祭で鑑賞したカメラドール特別賞受賞作品『アフガン零年』にあった。
このドキュメンタリー映画に衝撃を受け、アフガニスタンまで監督のセディク・バルマクに会いに行った井上は、同国で新たな世代の映像作家たちが育っていることを知る。
そして、同国との合作映画を製作し、日本で4度にわたってアフガニスタン映画祭を開催するまでになった。
しかし、今年8月、ふたたび侵攻してきたタリバンに首都カブールが制圧され、バイデン大統領の指示によってアメリカ軍が全面撤退し、アフガニスタン国民は20年の時を経て、ふたたび暴力と恐怖政治の世界へと引きずり戻された。
アフガニスタンから脱出しようとして叶わず、いままたタリバンの下で不自由な生活を強いられている友人たちはどうしているのか、井上は電話やインターネットを駆使して連絡を取ろうと試みる。
タリバンによる報復や虐待を避けるため、パソコンの画面にボカシをかけられた彼・彼女たちは、「われわれを救い出してほしい」「私たちがどれほど悲惨な目に遭っているか、日本のような先進国から世界に発信してください」と口々に訴える。
タリバンが銀行業務を停止させている現在、アフガニスタンの庶民は振り込まれた給料を引き出せす、それ以前に何カ月も仕事にありつくことすらできていない。
手持ちの現金が底を突き、子供が病気なのに病院に行かせてやれず、薬も買えなくて、このままでは死ぬしかない(実際に死んでいる人々もいる)と訴える母親の悲痛な声は、外国語であっても聴いていてつらい。
まさに背に腹は代えられない事情により、母国を捨てて脱出しようとやってきたカブール空港で、タリバンと対立するイスラム過激派組織ISが自爆テロを起こし、その場にとどまるしかなくなった人間の思いたるや、平和な日本に生きている僕などの想像の範疇をはるかに超えている。
一方で、かつては井上と親しく、映画祭の際に来日したこともあるテレビジャーナリストは、自分は平和に暮らしている、もう連絡しないでくれ、自分のことは忘れてほしいと告げ、連絡を断ってしまった。
彼の身に何があり、いまどのような環境に置かれているのか、何もわからないまま、途方に暮れたような表情で井上と通訳のファルク・アーセフィは顔を見合わせる。
日本人が深く関わった国の惨状を描いたドキュメンタリーで、これほど身につまされ、痛切な思いが込み上げてきた作品はほかに記憶がない。
僕の友人知人には、再放送された際には是非ご視聴を、と強く推薦させていただく。
オススメ度A。
オススメ度B。
A=ぜひ!🤗😱🤔 B=よかったら😉 C=気になったら🤨 D=ヒマだったら😑