記者のひとりごと『川相が世界新記録』

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○心斎橋総合法律事務所報『道偕』2003年9月号掲載

巨人の川相昌弘選手が8月20日の横浜戦で犠牲バントの世界新記録を達成した。米大リーグ記録の511に並んでいた川相は、512個目を投手前に難なく決めた。
38歳。ドラフト4位で入団して以来、21年目の偉業だった。

妻子を東京ドームに招いていた川相は試合後のインタビューで子供を抱きながら涙交じりに喜びを語った。
言葉は途切れ途切れだった。感激の深さが見えた。

川相は高校生のときから知っている。岡山南高が夏の甲子園大会に出場した1981年のエースで、鋭いシュートを武器にする投手だった。
私は岡山支局の記者で、チームに同行して甲子園取材に携わった。

岡山南は1回戦で敗れたものの、川相の打者にぶつけるようなシュートの軌道は強く印象に残っている。
そんな印象があったため、彼が巨人に入団後に打者に転向、地味な役回りを演じるようになったのを知ったときは少なからぬ違和感を覚えたものだ。

まじめさでは球界屈指の選手だった。自分のパワーではプロではやっていけないと腹をくくり、守備とバントで生き抜く決心をした。
甲子園でエースナンバーをつけた過去を振り切るには相当の覚悟が必要だったろうが、プライドを捨てられる勇気もプロの力量のうちだ。堅実なグラブさばきは遊撃手としての名を高め、クリーンアップにつなぐバントのうまさは巨人打線の厚みを増した。

512犠打は当分破られないだろう。打率や打点、本塁打などの派手な記録に比べ、騒がれる度合も低いためだ。
「オレが、オレが」の自己主張の強い人たちの集まりであるプロの世界で、自分を殺せる意志の強い選手がどれほどいるだろうか。

その意味で、川相の記録はチームプレーに徹し続けたあかしでもあった。高校野球を見ていても、バントをきっちり決めるチームは概して強い。
「面白みに欠ける」と評されてもバント自体は日本球界から消えることはないだろう。自己犠牲の精神が評価されているあかしであるのだから。

※編者註
大リーグ記録保持者はホワイト・ソックスのエディ・コリンズ(実働1906〜1934年)で、通算犠打記録は川相が記録を更新したのち、MLBによって511個から512個に訂正された。
コリンズの現役時代は今日の犠牲フライも犠打に含まれ、走者を進塁させた内野ゴロも犠打に数えられた時期があるため、今日の犠牲バントのみの記録とは異なる。
従って、川相が512個を記録した時点で、犠牲バントのみではコリンズを上回っていた可能性が高いが、再調査のしようがなく、現在は川相の通算犠打記録533個が世界記録とされている。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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