本書に取り上げられている「阿部定事件」や「津山三十人殺し」はこれまでに何度もノンフィクションや小説、ドキュメンタリーや映画の題材になってきた。
そのほとんどは事件そのものを深掘りしようとする視点から作られていたが、本書は当時の新聞記事をはじめとした報道内容を再録し、事件がどのように報じられ、大衆の興味を煽ったか、という視点から検証しているところが斬新。
例えば、有名な阿部定事件はこれまで、大島渚の映画化作品『愛のコリーダ』(1976年)が大ヒットし、芸術的にも高く評価されて以降、性愛的、耽美的な面から語られることが多かった。
ところが、本書によると、一般大衆がこの事件への興味を募らせたのは、愛人・石田吉蔵を絞殺し、局部を切り取った事件の内容もさりながら、定の事件後の態度とキャラクターにある種の共感と爽快感を感じていたからだという。
阿部定事件が起こった昭和11(1936)年、日本は二・二六事件が勃発して世情が騒然とし、社会全体が暗澹たる雰囲気と未来への不安に包まれていた最中だった。
そうした中、定は自分の愛欲を愚直に貫き、警察が手をこまねいている間も無闇と逃亡を図らず、別の元愛人と逢い引きするほどの余裕を見せ、逮捕された際には笑みさえ浮かべていた。
この写真は当時の新聞各紙に報じられ、本書にも転載されており、定の笑顔は淫美で怪しげな気配より、むしろ裏表のない無邪気さを感じさせる。
さらに取調の最中、「罪を悔いる気持ちはないか」と問われると、「ホホホホ」と哄笑し、あっけらかんとこう話している。
「あの人(吉蔵)も私がこうしたことを地下で喜んでいてくれるでしょうよ。
とてもサッパリしたいい気持ちです。
死刑でもなんでもいいから早く処分してくださいな。
死刑になっても、おかしくって控訴なんかするもんですか」
こういう定の突き抜けた態度とキャラクターを、識者は退廃の象徴であるとして痛烈に批判したが、一般大衆は逆に好意的に受け止めた、という当時の雰囲気はわかるような気がする。
日本政府が戦争へと突き進み、軍国精神を押しつけられた大衆が重苦しさと閉塞感に喘いでいた中、情欲に突き動かされるままに生きた定は言わば、大衆にカタルシスを与えてくれる一服の清涼剤であり、庶民があからさまにできない欲望の代行者だったのだ。
このほかにも、肉親による保険金殺人の先駆けとも言うべき「日大生保険金殺人」、報道によって純愛の果ての心中とされた「天国に結ぶ恋」など、本書で初めて知った事件も大変興味深い。
読み終わったときには、「戦前昭和の犯罪は、どの事件も現代の犯罪に比べて“人間的”だ」という著者の主張がストンと腑に落ちてくる。
😁😳😱🤔🤓
2021読書目録
面白かった😁 感動した😭 泣けた😢 笑った🤣 驚いた😳 癒された😌 怖かった😱 考えさせられた🤔 腹が立った😠 ほっこりした☺️ しんどかった😖 勉強になった🤓 ガッカリした😞
13『喰うか喰われるか 私の山口組体験』溝口敦(2021年/講談社)😁😳😱🤔🤓
12『野球王タイ・カップ自伝』タイ・カップ、アル・スタンプ著、内村祐之訳(1971年/ベースボール・マガジン社)😁😳🤣🤔🤓
11『ラッパと呼ばれた男 映画プロデューサー永田雅一』鈴木晰也(1990年/キネマ旬報社)※😁😳🤓
10『一業一人伝 永田雅一』田中純一郎(1962年/時事通信社)😁😳🤓
9『無名の開幕投手 高橋ユニオンズエース・滝良彦の軌跡』佐藤啓(2020年/桜山社)😁🤓
8『臨場』横山秀夫(2007年/光文社)😁😢
7『第三の時効』横山秀夫(2003年/集英社)😁😳
6『顔 FACE』横山秀夫(2002年/徳間書店)😁😢
5『陰の季節』横山秀夫(1998年/文藝春秋)😁😢🤓
4『飼う人』柳美里(2021年/文藝春秋)😁😭🤔🤓
3『JR上野駅公園口』柳美里(2014年/河出書房新社)😁😭🤔🤓
2『芸人人語』太田光(2020年/朝日新聞出版)😁🤣🤔🤓
1『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳(2000年/草思社)😁😳🤔🤓